だきしめたい。 2・・・・・from「だきしめたい。」 |
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いつも通りのドアの前。しかしそこに立つ自分は、いつも通りの人間ではない。 小牧は腕時計に目を落とした。 一四五九。 いつも必ずここに来ていた彼の代わりにいつも通りの時刻を確認し、小さくため息をつく。 この「いつも通り」は一体いつまで続くのか。 問うても詮ないこととわかっていても、なお考えずにいられない。 彼は、半年だった。 では、彼女は? もう一ヶ月半。 しかし、まだ一ヶ月半。 堂上のときと違い、郁の査問会召集は完全な濡れ衣である。しかし査問会の目的が罪の弾劾ではない以上、その事実はなんの楽観的材料にもなりはしない。むしろ、彼女が彼女であるがゆえに、彼女は今、このドアの向こうで一人で戦っている。 それは正しくない。 しかし、戦略的には正しい。 認めたくはないが、それは確かに事実だった。もし彼女にその同僚の半分も冷静さがあれば、きっとここにはいなかっただろう。 そうあるように導くべきだった。 いや、常日頃からもっと冷静であれ、落ち着いてものを考えろと、班長が口を酸っぱくして言い続けているはずだ。しかし、どれだけ言い続けても、彼女の熱は冷めはしない。さすがに入隊二年目ともなれば、瞬間湯沸かし機よろしく感情のままに即沸点まで到達したとしてもそれを抑えなければいけない場面があることも学んできている、とは思うが、だからと言って沸点に達した熱が下がる訳ではない。 その熱がいつ発火温度にまで上がるのか……いつ、その熱のままに一人で走り出してしまうのか。 一度腹を括ったらどんな無茶も厭わない、それは昔から変わらない彼女の特性であり、強さであり、そして、致命的な弱点だ。 そうとわかっていてなお、その熱を押さえ切れていないのは、他でもない堂上がそれを惜しむからだ、と、小牧は思う。 なぜなら……それが、笠原郁だから。 かつては彼の中にも確かにあったその熱をいまだに後生大事に抱えたままの郁がもどかしく、そして苛立つ。しかし同時に、何よりも眩しい。それをそのまま持ち続けてほしい、と望むのは明らかに矛盾しているとわかっていてもなお。 そんな堂上の心中を思えばこそ俺も……いや、ちょっと違うな。小牧はひとつ息をつく。 かつて、彼が同じ熱を自分の意志で心の奥底にしまい込んでしまうのを黙って見ているしかなかった自分を思い出すからだ。 もちろん、現在の努めて冷静であろうとする彼の姿に反発を覚える訳ではない。むしろ昔を知っているからこそ、よくもまあここまで自分を抑える事ができるものだと素直に感嘆するし、そして、そうでなければ彼がこの場所にいられなかったことも理解している。 それでも、あの熱は、堂上を堂上たらしめるものだった。 だから、小牧は惜しんだ。 そして今、彼女の熱にあぶり出されるように彼の熱もまた時折ふいに甦るのを見て、少なからず喜んでいた自分も知っている。 しかし、まさかそれがこういう形で徒になるとは。 堂上がなぜその熱を封印したか。それを思えば彼女の熱もまた、彼女自身を、ひいては彼女の周囲を危機にさらすことになる可能性があると、きっと自分だけでない誰もが気づいていたはずなのに。 誰もが、その熱を惜しんだ。 ……大事に守りすぎた、か? 小牧の中の極めて冷静な部分が、「彼女のためにもこれはむしろいい機会だったのだ」と囁く。彼女は自分の熱の危うさをもっと早く自覚すべきだった。諸刃の剣は、やはり諸刃なのだ。リスクを最大限に減らすためには、やはりその片刃は潰すべきだった。かつての堂上のように彼女自身の意思でそれができないのなら、周りが無理矢理にでも。そうすることで、郁が郁でなくなってしまうとしても。 ──でも、そうすると、彼女が特殊部隊にいる理由がなくなっちゃうんだよな。 郁が、今の郁だからこそ、彼女の居場所はそこにある。特殊部隊という、よくも悪くもフレキシブルで、しかしそれを見事にコントロールしてみせる優秀な上官たちに統べられた場所だからこそ、彼女の力は生かされている。おそらく、防衛部の一般防衛部員だったら、彼女の熱はあっさり潰されていた事だろう。その場合……彼女は今まで図書隊に残っていただろうか? そこまで考えて、小牧は苦笑した。 郁一人いなくても、特殊部隊も、図書隊も、何も変わらず本を守り続けるのに、なぜそこにこだわる必要がある? そこで再び腕時計に目を落とす。十五○○まであと三秒。 小牧はすうと息を吸って目の前のドアをノックした。腕時計は今、ぴったり十五○○を示しているはずだ。 「失礼します」 言って、がちゃりとドアを開けながら、小牧は己の投げた問いに心の中でだけ簡潔に答える。 なぜ、って。 特殊部隊は、俺たちは、今の「笠原郁」を必要としているからだ。 「十五時になりましたので、笠原一士を業務に戻らせて頂きます」 敬礼しながらいつも堂上が言っているのと同じだろう口上を述べて、その声に振り返った郁を見遣れば、そこにはきっといつも通りであろう少し泣きそうで、でもほっとしたような顔が── そう思っていた小牧が小さく息を呑んだ。 何があった? 堂上でなくともそう聞きたくなる。 部屋の中央には、少し泣きそう……どころか、今にもぼろぼろと泣き出しそうな、顔も目も真っ赤にした郁が、唇をぎゅっと噛み締めて立ち尽くしていた。 * すみません、すぐに戻りますからっ。 涙声の郁の言葉とバタバタと遠ざかる足音を最後に、録音は途切れた。 「こう来たか……」 再生の終わったUSBレコーダーを前に、玄田が腕組みして唸った。その隣に座る堂上は動かず、ただ、ぎりっと奥歯を噛んだ。 その向いの席の郁は、録音を聞き始めてからずっとこらえていたのであろう涙をついに流していた。泣くのをこらえるために噛みしめたはずの唇から小さく嗚咽が漏れる。膝の上の手はぎゅっと握りしめられ、その肩が小さく震える。この部屋に入る前にもひとしきり泣いてきたはずの目元がさらに赤く染まり、それがひどく痛々しい。 査問が開始されてから一ヶ月半の間に、堂上が決まった時間に郁を迎えに行ったのは何度あったか。そのたびに、泣き出しそうな顔で堂上を振り返り、しかし、決して泣く事はなかった郁が、よりによって堂上がどうしてもはずせない会議のために迎えに行けなかった今回、初めて涙を流した。 しかも……その原因は、堂上だった。 |
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