home 2・・・・・from「だきしめたい。」 |
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子供の頃から、人並み以上の視力はひそかな自慢だった。 大人になった今、それが射撃の成績に反映されないのは甚だ予想外だったが。 だからと言って、よりにも寄ってこんなところでその能力を発揮しなくても。 郁は、はあ、とひとつため息をついて、よせばいいのにまたそれを見上げてしまった。 視線をあげたその先には、真夏の日差しが青々としげった葉の間からきらきらこぼれる梢。 郁が手を伸ばしても届くかどうか微妙な、つまり誰が見ても大分高いと思うだろう位置に、その自慢の二・〇の視力が捕らえたものがあった。 いつ、誰が据えたとも知れない鳥の巣箱。 それは、見るからに半分以上壊れかけていた。 * 食堂を出た郁が向かったのは図書館の裏庭だった。 立秋を過ぎたと言ってもまだまだ八月の中盤、世の中は夏休み真っ盛りだ。遠くから子供達のはしゃぐ声が聞こえる。今の時間なら前庭の芝生のスプリンクラーが水を撒いているのに突っ込んで水遊びをしているのに違いない。 そりゃ気持ちいいだろうなあ、この暑さだしなあ…… 郁は、日蔭にいてさえ容赦なくまとわりつく、熱と湿気を多分に含んだ空気に額から背中から汗を流して、それでもなお図書館の外壁に背を預けてぺたりと座り込んだその場所から動こうとはしなかった。 食事を終えて、そそくさと席を立つのはこれで何度目か。本当ならいつも通り、午後の始業までみんなで雑談に興じたい。特に昼は業務に関わる話題も出ることが多いからなおさらだ。 しかし、限界だった。 今日もまた、郁たちのテーブルを遠巻きに見詰める視線が無遠慮に突き刺さって、おいしいはずの食事は砂を噛むようで。 胸が苦しくて、息ができなくて、もう笑えなかった。 この人たちの前では……あたしのことを信じてくれる人の前では、絶対元気に、笑っていようと心に決めたのに。 文字通り、逃げるようにその場を立ち去った自分を、後に残った三人はさぞ訝しく思ったのに違いない。せめて、笑えなくなった顔を見せまいとしてのことではあったけれど。 ごめんなさい……本当に、ごめんなさい。 こうして一人になって、一息ついてきれいな酸素を補給して、そしたらちゃんとリセットして、また午後からは元気になるから、だからちょっとだけ時間を下さい。 だからどうか、いつも通りに接して下さい。 あたしが、いつも通りに立っていられるように。 つん、と痛くなった鼻の奥に慌てて息を止め、ぎりっと奥歯を噛み締めた。目もぎゅっと閉じ、鼻の奥の痛みと目頭の熱さを無理矢理に体の奥に押し込んだのを確認すると、ひとつ深呼吸してようやく目を開けた。 そして何の気無しに見上げた梢にそれを見つけてしまったのだ。 壊れかけた鳥の巣箱。 もちろん、そこに帰る鳥はいない。 郁の胸がズキンと痛んだ。 その楔に名前をつけるとしたら……「いたたまれない」、だろうか。 壊れた巣箱は、今の郁にはいやでも現在の郁の居場所を思い起こさせた。 信じるものが、守りたいものがある場所。 疲れた体を休ませてくれる、あたたかい場所。 そのはずだった図書館が、食堂が、寮が、どこも壊れている。郁にとって安住の場所ではなくなっている。 見なければいいのに、どうしても目が離せない小さな巣箱が、忘れたくても忘れられないその現実を郁に突き付ける。 それでも、帰る場所はそこしかないということも。 正しくは、別に壊れた訳ではない。それは郁にもわかっていた。むしろ他の人にとっては、郁の方が思いがけず紛れ込んだ異物のようなものだ。 だから、弾き出す。己の身を守るために。 郁にかけられた嫌疑が正当なものかどうかは、関係ない。必要なのは、郁が査問の対象になったということ。それだけで十分なのだ。 もし対象が自分ではない他の誰かだったとしたら、自分も同じことをしないだろうか。真実がわからない……いや、査問の対象者である、それだけはまぎれもない真実であるという状況で。 そう思うと、無遠慮な視線を送ってくる人々を責める気持ちにはならなかった。……もう、信じることはできないかもしれないけれど。 それは、仕方のないことなのだ。 それだけに、本当の真実を知っているからこそとはいえ、郁のことをまっすぐに信じて、気遣ってくれる人々の存在は何物にも代え難かった。 堂上班のメンバー、柴崎、特殊部隊の面々。 彼らこそが、今の郁にとってのシェルターであり、ホームだった。 そんな彼らに応えたい。護られるばかりではなく。 あなたたちがいるから、あたしは立っていられるのだと。笑っていられるのだと。 弱音なんか、絶対に吐かない。 それが、郁から彼らへのせめてもの恩返しだ。 絶対に、負けない。 「……ぅおっしゃ!」 郁は両手で自分の両頬をバシンとはたいた。思いっきりはたいたから頬が熱い。その熱を力にして、郁は立ち上がった。さっきまで視線を捕らえて離さなかった壊れた巣箱をもう一度だけ見上げ、そしてくるっと背を向けて、庁舎へ歩き出そうとしたそのとき。 「こんなところにいたのか」 |
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