意趣返し 2・・・・・from「だきしめたい。」 |
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郁の言葉に、慧が目をわずかに見開いた。 「お礼?」 「はい」 ありがとうございました。 郁はそう言って頭を下げた。嫌味とか、そんなものではなく、本心から。 「おやおや、君に頭を下げられる日が来るとは夢にも思わなかったな。向こうで旦那さんがぎょっとした顔をしているよ」 慧の言葉に、身を起こした郁も軽く苦笑する。振り返りはしないけど、きっと相当驚いているんだろうな、と郁も思う。 それでも、お礼を言いたかったのだ。 「で、俺は一体何を感謝されているのかな。さすがの俺も皆目見当もつかないんだけど」 そう言う慧の顔は、それでも困惑した風などまったく感じさせない笑みのままだ。その顔をまっすぐに見ながら、郁は言った。 「あの手紙、確かに意地悪だったし、すごいショックだったけど……あ、いやだったって意味じゃなくて……でも、あれくらい強引に突き付けられなかったら、篤さんが王子様だった、なんて受け入れられなかったかもしれないって、今は思うから」 もし、もう少し優しい誰かに、それとなく吹き込まれたりしていたら、きっと当時の郁なら「そんなはずないじゃん!」とか笑い飛ばしてしまったのではないか。 面影も、言動も、似ているところがたくさんあると無意識のうちに気付き始めていたけれど、それでもなお、素直に受け入れることはできなかった気がする。きっと……王子様、ではなく、堂上教官、を、好きになりはじめていたからこそ。 あそこまで端的に、強引に、事実だけをつきつけられたからこそ、郁はまっすぐ受け取ってしまったのだと思うのだ。 「手塚さんのあの手紙で本当のことを知ることのないまま、……王子様への憧れを抱いたままだったとしても、それでもあたしはきっと篤さんを好きになっていたと思います。それでもし、篤さんもあたしのことを好きになってくれたとしても、きっとあの人は自分が王子様だってことを伏せ続けたんじゃないかと思うんです」 あたしの憧れを……気持ちを、いつも大事にしてくれてしまうから。今、この場をはずしてくれたように。 あの人は、そういう人だ。 「そしたら篤さんはずっと秘密を抱えたまま生きていかなくちゃいけなくて、でもあたしのことだから、能天気にふと思い出しては『王子様は今どうしてるかな』とか言っちゃうんです、きっと。そのたびに秘密を抱えたあの人は苦しい思いをして……そんなのつらすぎるから。そうならなくてよかったって思うから」 だから、ありがとうございました。 郁はふたたび、頭を下げた。 落とされた爆弾の威力は激しすぎて。それでもやっぱり、あれがなかったら、今の自分たちはないと思うから。 「……君、光と同い年だよね」 慧から返ってきた言葉はあまりに予想外で、郁は思わず「へ?」と慧の顔を見返してしまった。 「いや、いい大人なのに随分と痒いことを平気で言う子なんだなあと思って」 「おっ大きなお世話です! ……確かに、よく言われますけどっ」 郁だって、自分でも痒いことを言っている自覚はある。それでも言いたかったんだもの、しょうがないじゃない! 本当に、そう思ってるんだから。 子供のように顔を赤くして頬を膨らませる郁に、慧は苦笑とわかる笑みを浮かべ、郁は赤い顔のままその表情を見上げた。 「まいったね。あれは本当に君への意趣返しだったのに、結局しあわせになるネタに使われちゃうなんて、とんだ目論見外れだ」 「……でも、やっぱり意地悪だったと思いますけど」 「そうかな?」 「そうですよ。……どうか手塚には、もうそんなひどいことしないで下さいね。手塚は、どうしたって、お兄さんのことが大好きで、信じてるんですから」 もう、そんなことないと思いますけどっ。そう付け加えると、慧の目が一瞬だけ見開かれて、そしてすぐ、いつもの……でも少しだけ意地悪な光を浮かべた笑顔になった。 「独り身に惚気はつらいね?」 「やっ別にのろけてるわけじゃっ!」 「そろそろ行かないと、旦那さんが待ってるんだろう?」 慧に言われて郁ははっとした。ちょっとだけ話を、と思っていたのに、思いのほか長く話し込んでしまった気がする。 「あっ、はい、そう……ですね。急に呼びとめてすみませんでした」 ありがとうございました。 最後にもう一度礼をして慧に背を向けると、郁は少し離れた場所で待っていた堂上の元へ向かった。柱にもたれてこちらを見ていた堂上の顔がやっぱり少し渋い……と思うのは、うぬぼれ、だろうか? 「お待たせ。ごめんね?」 「別に、謝ることじゃない。……話は済んだのか?」 「うん」 「そうか」 堂上は郁が慧と何を話したのか問い質したりはしない。 もう、あのときとは違うから。 「篤さん」 郁は堂上の顔をのぞきこんだ。ん? と堂上が目だけで返す。その視線に郁はにっこりと笑った。 「あたし、篤さんといっしょにいられてしあわせです。……キャッ!」 最後が叫び声になったのは、目をそらした堂上に頭をはたかれたからだ。……ここで「ギャッ」ではなく「キャッ」になったのが、ある意味郁の進歩かもしれない、と堂上が内心思っていることは郁には秘密である。 「何すんですか!」 「いきなり公衆の面前で痒いことを言い出すからだ」 「公衆の、って、別に誰も、」 「笠原さーん、気持ちはわかるけど、そういうのは家にいる時だけにしておいた方がいいと思うよ?」 「ギャーッ! 小牧一正!」 せっかくの「キャ」も「ギャ」に戻る勢いで郁は飛びのいた。すぐ背後ににやにや笑いの小牧と顔を真っ赤にした毬江が立っていたからだ。 「い、今のき、きいて」 「いやあ、俺たちもそういう夫婦になりたいねって、毬江ちゃんと思ってたところ」 「あ、あわわわ」 「このアホウが! ほら、行くぞ!」 郁の引き出物の紙袋を取り上げた堂上がエントランスへ向かってさっさと歩きだしてしまう。「あー! 待ってよ篤さん!」と慌てて追いかける郁を、小牧と毬江は笑って見送った。 と、小牧の袖を毬江がくいっと引いた。なに? と小牧が毬江に顔を寄せると、毬江は小牧の耳に手を当てて、そっとささやいた。 「あたしも、小牧さんに、いっしょにいられてしあわせです、って言える奥さんになりたいな」 そう言う毬江の顔は真っ赤で、そして、既にしあわせいっぱいの笑顔で。そんな毬江に、小牧もその左耳に手を当ててささやいた。 「じゃあ俺も、毬江ちゃんにいつまでもそう言ってもらえる旦那さんでいられるように頑張らないとね」 そして微笑み合った二人も、手をつないでエントランスへとゆっくり歩き出した。 |
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