意趣返し 3・・・・・from「だきしめたい。」 |
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あれは本当に、君への意趣返しだったんだよ。 堂上の元へ歩いていく郁の背中に、慧は心の中でだけ語りかけた。 俺はあのとき、君に嫉妬したのだから。 * 弟を自分の手元に取り込むために、慧は周到に罠を用意した。 下っ端の砂川に始まり一監の江東に至るまで、未来企画のいくつもの手駒を使って張った網に、餌はあっさりひっかかった。 笠原郁。 弟にとっては、最初に餌にした同室の男友達よりずっと親しい存在らしい。同じ隊の同じ班でほぼ毎日行動を共にしているのだから当然と言えば当然ではあるのだが、慧の手元にある彼女のデータから判断する彼女の性質を思うに、よくもあの弟が馴染んだものだと軽く驚きさえ覚える。 直感だけで動く根っからの感覚派。 あの、よくも悪くも頭でっかちな弟が馴染めるような人物ではないように思えたからだ。 しかし、そんなことはたいした問題ではなかった。有効な餌であれば存分に活かすだけ。それだけのこと。 砂川の図書隠蔽工作を弟とともに手伝わせ、しかし砂川には共犯として郁の名前だけをあげさせて査問会に召集したのはもちろん慧の指示。 査問官にも当然未来企画の会員を含ませ、査問をできるだけ長引かせるようにも指示した──まあ、慧があえて指示しなくとも、行政派の査問官たちが原則派攻略の絶好の機会と躍起になって臨んでいたが。 図書隊内のそんな派閥争いを利用するのももちろん計算のうちだった。餌さえ与えれば勝手に動き出す貪欲な獣のようなそれをうまく活用しない手はないからだ。このときは餌が原則派陣営だったから行政派の会員に指示を出しただけのことで、もし行政派の隊員が餌だったのなら原則派の会員に査問会を組織させていた。それくらいのことが可能な程度には、未来企画は図書隊に食いついていた。 そうして査問会の餌食となった郁は、それでもよく耐えていたと慧ですら思う。査問会といえば数ヶ月続く事もままあるから一ヶ月あまりではまだまだ、とも言えるが、慧の指示の有無に関わらず行政派の連中は相当本気で落としに行っていたはずだから、慧の予想ではもっとあっさり落ちるのではないかと思っていたのだ。 ……女性初の特殊防衛員の看板は伊達ではない、ということかな。 それが、慧の郁にたいする二つ目の評価だった。 査問と、それよりはむしろ寮生活の方で疲弊しているであろう彼女を目の前にして、弟もだいぶ憔悴しているようだった。 彼女は餌として十分に役を果たした。 しかし慧は、そこであえて次の一手を打たせた。 上官──それも堂上を、ターゲットに。 ひとつには、郁を更に疲弊させ、そして上官である堂上をも巻き込んで……つまりは、弟の憔悴をさらに煽るため。 堂上と郁の因縁は、堂上が微笑ましくも箝口令をしいていたとはいえ当然知る人は知ることで、当然慧の耳にも入っている。そして郁が堂上に真実を知らずとも懐いていることも、見る人が見ればまるわかりらしい。 そんな状況で郁に堂上を差し出せと言ったら郁はどうする? そして、堂上は? 更に言えば、堂上は弟が特に心酔している上官でもあるらしい。 その上官も査問に召集されたら、弟はどれだけショックを受ける? 弟が受ける動揺は大きければ大きい程いい──引き換えにするもの大きさに、自分の価値を思い知るだろうから。 もうひとつには、弟に隊への不信感を抱かせるため。 同僚だけでなく、上官をもターゲットに不毛な派閥争いを繰り返す図書隊という組織に疑問を持て。 そして視野を変えろ。……こちらへなびけ。 しかし結果として、この一手は不発に終わった。 これがとどめとちらつかせた堂上の召集の話を受け、郁は一時的に体調を崩したようだったが、その後の査問会では立ち直り、それまで通りに対応してみせたという。 それは笠原郁という人間の強さであり、またそれを支える特殊部隊という一枚岩の底力でもあり、そしてきっと、堂上と郁の絆の強さの所以であろうと、慧は苦笑を浮かべるしかなかった。この展開では堂上を査問会に召集しても得るものは何もないと判断せざるを得ない。 そして弟の方は、このとき既に査問への未来企画……慧の関与を疑い始めていた。弟ともう一人、未来企画のターゲットとなっていた……そして今日、花嫁として彼の横に並んだ柴崎との連携によって。 隊に向かうはずの不信はそのまま慧へと向けられつつあった。 これは、あまりのんびりもしていられないか。 その判断のもと、慧は郁を呼び出した。 一気にケリを付けるために。──付けられるはずだった。 「仲間への負い目でなびけなんてそんなひどいこと、お兄さんからだなんて、友達に伝えられません。自分で言ってください。そのほうが手塚はまだ傷つきません」 それまでの揺らいだ瞳が嘘のようにまっすぐに慧を見つめて、郁はそう言った。 「考え方が違うのは仕方ないけど、手塚を必要以上に傷つけないでください。あたしは、自分の友達が傷つく手伝いなんかしたくありません」 あなたが、手塚を傷つけないで。 そう訴える彼女の瞳を、慧もまっすぐに見返した。 自分のしていることで弟が傷つかないはずはない。そんなことはわかっている。それでも俺はあいつがどうしても欲しいのだ。その傷を負わせても、それを越えるだけのものをあいつに与えてやれる確信があるから。そのためには手段も選ばないと決めた。決めたからには今さら情に流されることなどありえない。 君に光の何がわかる? 君みたいな愚かな女の子に。 あいつの能力を正しく評価し、伸ばし、活かせるのは俺だ。 黙って俺に従って光を俺の元へ差し出せ。 その思いが揺らぐはずはなかったのに……こんな小娘ごときに揺らがされるはずはなかったのに。 あまりにまっすぐな郁の瞳が、そのまっすぐさゆえに慧を射抜いた。 誰かが囁く。 お前よりも、彼女の方が、弟のことをよく理解している。そして、大事にしている。 兄であるお前より、ずっと。 囁くその声は……きっと、自分自身だった。 負けた。 そう悟った。 彼女は弟に何も言わない。 弟はこちらになびかない。少なくとも今の時点では。 彼女が、彼を守るから。 兄である自分から。 弟を活かすのは、伸ばすのは……守るのは、本当なら自分の役目であるはずなのに。 今、そのポジションにいるのは、彼女なのだった。 * そう、あれは確かに嫉妬だったのだと思う。 だからこそ、あんな子供じみた意趣返しをしたくなった──彼女が大事にしているその思いを引っ掻き回してやりたくなった。 郁自身が指摘した通り、慧が本気を出せば郁ごとき完膚なきまでに叩き潰すのはいともたやすいことだった。それをしなかったのは、理由があまりに個人的でありすぎるから。 そしてもうひとつ。 まっすぐで──どこまでも呆れる程にまっすぐで、どんなに潰されても決して折れ曲がらず、自分の足で立ち上がる、郁のその強さに敬意を表して。 そんな純粋なまっすぐさは、慧には既に遠く眩しく、いっそ苦手ですらあるが──しかし、嫌いじゃない。 とはいえ、あれから六年もたった今でも相変わらずあのままだとは、ちょっと驚いたけどね。 慧は見送る郁の背中の向こう、大理石の柱に背をもたれて郁を待つ堂上にちらりと目をやった。郁の背中越しに視線が合い、お互い目だけで挨拶した。郁はきっと気付いていないだろう。 あのときいたずらに書き付けた『王子様』……彼が、彼女を守り続けてきたのだろう。彼女があのときのままのまっすぐな瞳を持ち続けられるように。 まったく、君はたいした王子様だ。 そして、彼女はとんでもないお姫様だったよ。意趣返しのはずの嫌がらせを、キューピッドの矢に変えてしまったんだから。 慧は小さく苦笑すると、くるりと踵を返し、親族控え室へと歩き出した。 |
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fin. |