月がとっても蒼いから 2・・・・・from「だきしめたい。」 |
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そのやり取りから五日後。九月の空は雲一つない快晴、旅行日和である。 郁と柴崎は新宿駅のロマンスカー乗り場へ向かって……走っていた。柴崎は全力疾走で、郁はそれに合わせて。そんな二人の手には開店したばかりのデパ地下で確保したお弁当がばっちり下がっている。 「もう! 笠原がいつまでも悩みすぎだから!」 「だって! どっちのおかずも捨てがたかったんだもん! そう思わなかった?」 「それとこれとは別! 乗り遅れたら特急券が無駄になんのよっ!」 「ごめんー!」 ロマンスカーの中で食べるお弁当をデパ地下で調達しよう、という計画は二人ともノリノリだったのだが、いざ買う段になって郁が「あれもおいしそう、ああでもこれも」と迷いだし、ぎりぎりまで迷いまくった結果がこのダッシュである。郁は足が速いからよいが、つきあわされる柴崎はさんざんである。ああ、これは明日の昼飯おごりで済むかなあ。郁は走りながらため息をつくという器用なことをした。 なんとか改札を駆け抜け、目当ての号車の指定席にたどり着く。二人がぜえぜえとあがった息を整える間もなく、電車はするりと走り出した。手にした袋からお茶のペットボトルを取り出し、ごくりと飲んではあと息をついて、ようやくひと心地ついた。 「まったく、しょっぱなから勘弁してよね」 「ホントごめん」 郁は素直に頭を下げるが、 「やっぱり、列車の旅と言えば駅弁よねえ」 と一度は膝の上に置いたデパ地下袋をほくほくと掲げれば、柴崎も 「正しくは電車だし、駅弁でもないけどね。でもその意見には同意だわ」 とくすくす笑う。 「まだおなか空いてないし、せめて東京を出たら食べようか?」 と柴崎が言うのに同意し、買ったばかりのお弁当は三十分ばかりお預けになった。 結局、無難なところで新宿発の箱根フリーパスを購入した二人は、箱根湯本からはバスに乗り換え、芦ノ湖を目指した。郁にとっては箱根と言えば大学駅伝で、学生時代にも母校の応援で毎年来ていたから、約二年ぶりの光景に「ひさしぶりー!」と歓声を上げた。 せっかく箱根だしと関所を見学して、土産屋の軒先ででふかしたての温泉まんじゅうを食べたところで郁が声を上げた。 「ねえねえ、遊覧船乗らない? 海賊船!」 いかにも子供に受けそうな派手な外装の遊覧船の看板に郁がふらふらと引き寄せられていくが、柴崎は「いやあよ、もう旅館に行くんだから」とさっさとバス停へ歩いて行く。 「え、もう? まだ時間早いのに」 まだろくに観光らしいこともほとんどしていないし、だから太陽が西に傾くまでにはまだ随分と時間がある。郁はどうして? と首をかしげた。そんな郁に柴崎はくるりと振り返り、にこおっと微笑んでみせた。 「今回のメインは露天風呂で富士見酒よ。日が高いうちに入らなきゃ肝心の富士山が見られないじゃないの」 ああ、そうだった……郁は五日前の晩を思い出す。 「露天風呂はいいけど、富士見酒はあたし関係ないし……」 「いいのよあんたは飲まなくて。むしろ飲むな。風呂で潰れられてもあたしが困る」 「言われなくてもそんな自殺行為しないわよっ! でも、ねえ、風呂に入りながら お酒なんて、いくら柴崎でも回っちゃわないの?」 「バカねえ、ずっと肩までつかりっぱなしな訳じゃないんだし、それにさすがにそんなところで浴びるようには飲まないわ」 「そんなとこじゃなかったら飲むのか……」 「さあ、それはどうかしら」 あんたは富士山眺めてのんびり入ってればいいのよー、そう言われて、郁もそうだねと返す。何と言っても露天風呂なんて初めてなのだ。確かに明るいうちの方が景色も楽しめていいだろう。 郁は肩にかけたバッグのひもを握りしめると柴崎と並んでバス停に向かった。 旅館に到着すると、「とにかく風呂よ、風呂!」と珍しくテンションあがりっぱなしの柴崎に連れられて、郁は露天風呂に向かった。 内湯で体を洗い、少し湯につかって体を温めてから外へ通じるガラス戸をからりと開けると、山の涼しい風が心地よい。柵の向こうには富士山が見事にその姿を見せていて、なるほど「富士見酒」の看板は伊達ではなかった。 露天風呂は熱めのお湯とぬるめのお湯の二つに分かれていて、手前にあるぬるめの湯を囲む岩の上に、小さな日本酒の樽が据えられていた。 「これよこれ。うっわー、飲み放題なんだ。いいサービスねえ」 ちゃぷん、とお湯につかった柴崎はさっそく樽に向かう。樽に直にビールサーバーのような注ぎ口がついており、隣に用意されているお猪口に自由に注いでいいようになっていた。柴崎はお猪口とともに重ねられていた小さな盆を湯に浮かせると、さっそく空けたお猪口をとん、と盆の上に置いた。さすがに飲みながら肩までつかる気はないのだろう、湯の周りの岩に腰かけて、膝から下だけをゆらゆらと湯の中で揺らしていた。片や郁の方は、風呂と言えばやっぱり肩までつからなければ、という頭があるので、ここでもしっかりつかっている。さっき内湯であたたまったばかりだが、吹きわたる風が火照る顔を冷やしていくのでさほど暑いとは思わなかった。 「露天風呂でお湯の上にお盆浮かべて日本酒なんて、まさかホントにできるとは思わなかったわー」 なんか安っぽい旅情ドラマみたいよね? と柴崎が言うので郁はぷぷっと噴き出してしまう。 「でもそれがやりたかったんでしょ?」 「そうなのよー、酒飲みのロマンなのよねー。でもやっぱり理想は雪景色よねえ」 「なにそれー」 柴崎はなんだかんだ言いながら日本酒を注ぎ足すのは三杯目で止めたようだ。郁もさすがにずっと肩までつかっていると暑くなってきたので、たまに柴崎と同じように岩に腰かけて涼みながら富士山を眺めていた。 そんな、普段なら絶対ありえないシチュエーションの中でも話すことは寮の部屋と同じで、本の話やらテレビの話やら仕事中に見つけたちょっとおかしなネタやら、とりとめもないが尽きることのない、いつもの女の子同士の気楽なおしゃべりだった。 そうして何度目かお湯につかりなおした郁は、肩までしっかりお湯に沈み込むと手足をうーんと伸ばし、はぁ、と大きく息をついた。 「ああ、広いお風呂っていいねえ」 思わずしみじみとそう言ってしまってから、「ほら、露天風呂ってさ、壁はないし空は広いし、すごい解放感があっていいねよ!」と付け足した。 それに柴崎も「そうねえ、この空がいいわよねえ」と同意し、それから「もう一回つかったら、そろそろあがろうか」と言った。 そだね、と郁も返し、それからは二人とも何も言わず、ぼんやりと体が温まるのを待った。二人の上を吹く風は、武蔵野を吹くそれよりもずっと秋に近かった。 |
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