月がとっても蒼いから 4

・・・・・from「だきしめたい。」

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 窓の外は闇。しかしよく晴れた夜空に浮かぶ半月のおかげか、闇と言ってもほのかに蒼い。月の光で蒼く染まった木々に周囲を囲まれた旅館はひどく静かだ。遠くにちらちらと見える灯りは湖畔を走る車のヘッドライトだろうか。
 窓際の広縁に据えられた、そこだけが洋室仕様の一人掛けソファが二脚とローテーブル。そのソファの一つに柴崎は膝を抱えて座り込んでいた。缶ビールをちびりと飲む自分が窓に映る。その向こうには仲居さんが敷いてくれた真っ白なカバーをかけられた布団が二組。入口側の布団には郁が赤い顔ですうすうと眠っている。

 あのあと、やっと涙のひいた郁はしきりに「おいしい」と言いながら締めのご飯とデザートを本当においしそうな顔でたいらげた。それから、きっと久しぶりに飲んだ酒のせいだろう、「なんかすっごい眠い」と言うので、とっとと顔洗って寝なさいな、と言ってやったら、そうだねー、とにへらと笑って洗面所に向かい顔を洗って歯を磨いて、なんとか化粧水だけはつけて、そのまま座布団を枕に行き倒れてしまった。それを、食事を片して布団を敷いてくれた仲居さんの助けを借りて布団に押し込んで、そこでやっと柴崎は売店へ行き、缶ビールを買い込んで戻ってきたところである。

 そうだ、とふと思いついて立ち上がると洗面所に向かい、備え付けのハンドタオルを濡らして絞った。部屋に戻って郁のまぶたに乗せてやると、冷たかったのか「んん……」と声を上げたが、起きる気配はなかった。
 あれだけ泣いたんだから少しは冷やしておかないと、明日大変なことになるわよ、あんた。
 それから部屋の灯りを落とすと、広縁にあったスタンドライトのぼんやりした灯りだけが残った。窓にはもうソファに戻った柴崎しか映っていない。
 もう一口ビールをあおってから、柴崎はテーブルから携帯を取りあげた。フラップを開き、アドレス帳から目当ての名前を呼び出した。
 ──堂上教官。
 コール二回で出た。
「柴崎です」
「どうだ」
「潰れて寝てます」
「はァ?」
 柴崎の名乗りには全く動じなかったその声が、このときは間抜けなほどに力が抜けていた。柴崎は思わずくすりと笑う。
「食事のときにビールを飲みまして。大した量じゃなかったんですけど、まああの子のことですから。気持ち悪くもなりようがない程度の量で気持ちよく落ちてます」
「そうか」
「今日は堂上教官にお送りいただく必要がなかったので、安心して飲ませられました」
「ばっ……」
 電話の向こうの堂上が絶句している。柴崎のくすくす笑いは止まらない。
「大丈夫ですよ? 食事が部屋出しのプランを用意していただきましたから、飲んでから潰れるまで布団を敷きにきた仲居さん以外の人の目には触れてませんから、ご心配なく」
「……別に何の心配もしてない」
 ふてくされたような上官の声にどうしたって止まらない笑いの一方で、柴崎は問題の宿泊券を受け取った時のことを思い出していた。それはもう十日前のこと。
「業務部の男子隊員にもらった」なんて、当然嘘だ。ただ、ああいう設定にしておけば、郁がその出所を深く追求することはないだろうとわかっていたから。そのくらいの嘘はすらすら出てきた。そして郁は疑いもしなかった。柴崎が狙った通りに。

       *

「あいつ連れて温泉でも行って来い」
 そう言って封筒を差し出したのは玄田だった。
 ちょうど堂上班が訓練で不在の折に特殊部隊事務室へ資料を届けに来た柴崎を隊長室に呼び出して、いきなりそれを渡したのだ。
「……これは?」
「箱根のなんとかって旅館だ。折口のツテで負けてもらったがな、ぼちぼちいいところらしいぞ?」
 渡された封筒の中身を見て柴崎は軽く目を瞠る。いいもなにも、富士屋ホテルとまでは言わないが、十分有名どころの老舗旅館である。ツテの割引だとしても、そこそこいいお値段のはずだ。
 目をあげると、玄田がにやりと笑った。
「うちも野郎ばかり五十人もいるとなあ、かわいい娘っ子に世話やいてやりたいって奴も多くてな」
 全員とは言わないにしても、もし三十人が千円カンパすればそれでもう三万円だ。それに玄田や緒形が色を付ければ、こんないい旅館でも一室二名の二食付き宿泊券くらい手が届くだろう。
 ああもう、あの子は……本当に、みんなに、どんだけ愛されてるんだか。
 郁が柴崎を含め他人の前では精いっぱいに強がっていることは、当然誰もが気づいていて、そして郁自身もばれていることにはきっと気付いている。それでも、郁は強がるのをやめない。強がりでも何でも、自分の足で立ち続けることが周囲の励ましへの応えになると信じているから。
 確かにそれは間違ってはいないと柴崎も思う。だから、不意に見せる苦しそうな表情もあえて気付かない振りをしてみせる。
 しかし、それを見ているこちらもまた苦しいのだ。彼女が謂われのない痛みを負わされているとわかっているからこそ。
 これは甘やかしすぎなのかもしれない。おそらく玄田もそう思ってはいるのだろう。それでも、きっと彼も、郁にはいつもの笑顔を取り戻してほしいのだろうと柴崎は思った。
 見ているこちらの心の奥まで明るく照らし出すような、冷たく凝り固まった澱さえ溶かすような、まっすぐで、ぴかぴかの、真夏の太陽のような笑顔を。
 まっすぐで素直で、バカみたいに人を信じて……あの笑顔で疑う事などなく信じきるから、こちらも信じて心を許してしまう。
 あの子になら自分を委ねてよいと思わされてしまう。
 そう思うのは、きっと自分だけではないのだ。


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