月がとっても蒼いから 5

・・・・・from「だきしめたい。」

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「広いお風呂っていいねえ、って喜んでましたよ。それから……ごはんがおいしい、って泣きました」
 そう告げると、電話の向こうでぐっと息を呑む音がした。しばらくしてやっと「そうか」という短い答えが返ってきた。伝えたことの意味を、この人なら理解するはずだ。
 寮の風呂は多人数の共用だから普通の銭湯並みに広い。だから、旅館の露天風呂程度の広さには別に驚きもしないはずだった。
 それなのに、郁は「広いお風呂っていいねえ」としみじみと声をあげた。それは、広いはずの寮の風呂で彼女がどれだけ小さくなっているかを物語る。最近は湯船にはろくにつからずシャワーで済ませているのも柴崎は当然気付いている。
 そして、ごはんがおいしいと泣いた郁。それでもやはりいつものように「よかったわね」と淡白に対応して見せたが、郁が普段の食事をどれだけ苦しく、機械的に済ませているのか日々目の当たりにしている柴崎の胸もぎゅうっと苦しくなった。
 だが、それでも。柴崎は静かに、しかし力を込めて告げた。
「あの子は大丈夫ですよ。潰れたりしません」
 だって、あの子の周りには、あの子を愛してる人たちがたくさんいる──あなたを筆頭に。
 だからきっと、あの子は潰れない。自分のためではなく、自分を愛してくれる人たちのために。
 それに、
「あんなに呆れる程真っ直ぐな子、そう簡単に折れると思いますか? これで折れるくらいだったら今のあの子はいませんよ」
 この言葉に誰より納得するのは、あなた以外にいないでしょう?
 まだ高校生だったあの子の真っ直ぐさをその目で見て、そして今、あの子の一番近くで見守り続けているあなた以外に。
「……そうだな」
 果たして、電話の向こうからの応えは柴崎の予想通りのものだった。
 それに小さく微笑むと、柴崎は心の中でだけつぶやいた。
 潰させやしない。
 しかし、それを口にはしない。
 なぜなら、多分それを誰より一番に思っているのは、電話の向こうのこの人だから。
「明日の夕方には戻ります。明後日からまた、よろしくお願いします」
「そっちもよろしく頼む。せっかくだ、お前も楽しんでこい」
 柴崎への気遣いを言葉にする堂上に、素直に「ありがとうございます」と感謝を告げてから通話ボタンを切ると、柴崎はソファの背に身を預けて、ふう、と小さく息を吐いた。
 潰させやしない。
 再び心の中で繰り返し、目を閉じる。
 あたしは、人を信じない。あたしは、平気で嘘をつける。
 それがあたしの選んだあたしの生き方。
 あたしはもう、あの子のようにはなれない。
 きっとこんなこと、誰にも言う事はないと思うけれど……そんなあたしの代わりに、あの子には、いつまでもどこまでも今のまま真っ直ぐで──きれいでいてほしいから。
 だから、あの人があの子を守りたいと思う気持ちにも多分負けないほどに、あたしもあの子を守りたい。
 だってあの子は、あたしの宝物だから。
 こんなこと、絶対、誰にも、言わないけれど。
「……さて、もうひとっ風呂あびてこようかな」
 柴崎は目を開けると、テーブルの上のビールの残りを飲み干した。飲んですぐに風呂は本当はよくないけれども、郁のペースに合わせていたからトータルでもたいした量は飲んでいない。軽く流すくらいなら大丈夫だろう。それに何よりせっかくの温泉旅館で一度しか風呂に入らないのはもったいないというものだ。
「今度は富士見風呂じゃなくて月見風呂ね」
 いつもなら夜にはさっさとコンタクトを外して眼鏡にするのだが、今晩は最初から月見風呂のつもりでいたからまだコンタクトのままだ。おかげで目がごろごろする。
 だからきっとそのせいだ……涙がにじむなんて。
 柴崎はもう一度目を閉じ、指先を目頭から目尻まで走らせた。わずかに湿り気を帯びた指先で、そのままコンタクトをはずしてしまう。途端に消えた目の中の異物感に、まるで目そのものが深呼吸をしたように休まる気がした。
 まあ、裸眼でも、今夜の月は明るいからよく見えるでしょうよ。
 そう自分に言って、柴崎は入浴の準備をすべくソファから立ち上がった。


fin.


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