Gift 8-1

・・・・・from「Gift」

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 いつまでも止まらないんじゃないかと思っていた涙がようやくおさまってきたところで、郁は頭をあげた。その上に載っていた堂上の手も自然に離れていく。それは少しだけさみしかったけれど、そんなことは当然言えないから、黙ってぺこりと頭を下げた。
「すいませんでした……あの、服、またすごいぬらしちゃって、」
「別に構わん。ハンカチ代わりだと言ったろう。それより、顔でも洗ってきたらどうだ。大変なことになってるぞ」
 そう言う堂上はもう端末に向きなおって報告書の続きにとりかかり始めていた。くそ、切り替え早いな。涙は止まっても気持ちはまだふわふわしている郁は少しばかり悔しい。
「そうしたいのはやまやまなんですが、ハンカチ、鞄の中なので……顔洗っても拭けないんですよね」
 ハンカチを含めた手荷物を入れた鞄はいまだおはなし室の倉庫の中だ。証拠物件として確保されているはずだから勝手に持ち出すわけにもいかない。財布も、携帯だってあそこに入れっぱなしなのに、困ったな、何時頃に戻してもらえるのかな。そんなことを思っていた郁の前にずいっとボックスティッシュが差し出された。
「……よく見たら、そこのデスクの上にあった」
 最初からこいつを渡せばよかった。そう言う堂上がふてくされたような顔をしていて、郁は思わず噴き出してしまった。
「お前が笑うな。いいからとっとと使え」
 その声もやっぱりふてくされたような響きで、郁はどうしたって笑いがこらえられない。その頭を今度はぺちりとはたいて、堂上は再び端末に向きなおった。その背中を見ながら郁は、ちぇ、同じ手でもさっきはあんなに優しかったのにな、なんて思ってみるが、はたかれたと言っても当然痛くもなんともない強さだったからむしろその手加減が気恥ずかしい。堂上が背中を向けているのをいいことに盛大に顔を赤くして、それから涙でぼろぼろになった顔を今さらではあるがぬぐって、洟をかんだ。その豪快な音に堂上の肩が小さく震えた。
「あーっ、今笑いましたね!?」
 噛みついた郁に堂上が振り返らないまま答える。
「そりゃ笑うだろう、年頃の女がそんなに派手に洟かんでたら」
「だって! 洟をかむってこうするしかないじゃないですか! 笑うとこじゃないですよ!」
 むきになって反論する郁に「悪かった」とやっぱり苦笑交じりの声で返して、堂上は再び報告書の続きに取り掛かる。ティッシュで鼻を押さえながら肩越しにディスプレイをのぞきこむと、既にフォームは八割がた埋まっており、うわ、この人やっぱりどんだけ優秀なの、と郁は目を丸くする。郁なら同じ時間かかって三分の一埋められているかどうか、だ。そりゃ、こんだけ処理能力が違えば自分でやった方が早いわよねえ、せっかくの休日に無駄に時間かけたくないもんねえ……そう思って郁は小さくため息をついた。その気配に気づいたのか、堂上がやっぱり郁を振り返りもしないで言った。
「ああ、もうすぐ終わるから、そしたら確認頼むな」
「あ、はい」
 どうやら信頼してもらえたようだ、とはいえ、自分はまだまだあれこれ未熟なところが多すぎる。たとえばこんな書類作成とか。そしてそれを一番身にしみて把握しているのは上官の堂上だ。
 それでも、信じてくれるというのなら。
 あたしは、もっともっと、頑張らなくちゃ。
 うん、頑張れ、あたし。
 郁は気合いを入れ直すために、両の手のひらで頬をぱちんと叩いた。その音にまた堂上が「何やってんだ?」と振り向くが、郁は「ああまあ気にせず! どうぞ続けてください」と笑って答えた。それに呆れたような苦笑したような、なんとも言い難い顔をしてから再びディスプレイに向きなおった堂上が、キーをたたきながら「そういや、」と言った。
「はい?」
「お前、夜まで暇っつってたか」
「はあ……まあ」
 ええ? やっぱりまだ仕事? いや別にやることもないから全然かまわないけど。それに……仕事だったら、堂上教官とまだ一緒にいられる、し?
 そんなことを考えていた郁に、斜め後方上から直滑降で次の言葉が降ってきた。
「これ終わったら飯でも食いに行くか。せっかくのクリスマスイブだってのに、俺のせいでなんかさんざんな日にしちまったしな」
「…………は?」
 え? あの、それって、あの、それって!?
 デートの誘いみたいなんですが!!
 ちょっと、ちょっと待って! 違う落ち着けあたし! これはあくまでも上官が部下の労をねぎらうために言ってくれただけのことで、別にそんな他意は……ない! ないはず! あるわけない! ……けど!
 今日はクリスマスイブです教官!!
 なんでこんな日にそんなこと言うんですか!!
 あまりに予想外にも程がある堂上の言葉に、郁の頭がキュルキュルと音を立てて回り始めた。だってだって……今日はイブなんだよ? そんな日に、いくらお詫び? とはいえ、年頃の独り者の女子を誘いますかあんたは!
 まったくもう、どんだけ──どんだけ人に夢見せれば気が済むんですか!!
 いっそ罵倒したいほどの勢いで、しかしそんなことは当然できるはずもないから結局硬直したままの郁から何の返事もないので、堂上がまたくるりと振り返った。その眉間にしわが寄っている。
「……別に、迷惑ならいい」
「いえあのっ、迷惑とかそんなことはっ!」
 あわてて返す声がひっくり返って郁はあわあわと口を押さえた。ああもう動揺しすぎよあたし! 言うべきことをちゃんと言え! 「はい、喜んで」って、それだけ! それだけなんだから!
 なのに、その一言を押しだすだけのことに、どうしてこんなに力がいるのやら。
 その理由は今は考えないことにして、とにかく口を開くために、郁は大きく息を吸い込んだ。


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