サンタクロースの勇気 3・・・・・from「Gift」 |
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やけに冷えると思ったら、いつの間にか雪になっていたのか。 読みかけの本を置き、ふと思い立って部屋の窓辺に立った堂上は、白い雪が舞い散る景色に軽く眼を瞠った。見下ろす地面や背の低い木立には既にうっすらと積もり始めてさえいる。 ──あいつ、ちゃんと帰って来られたのか? きっと今日も酔っ払って足元がおぼつかなくなっているのに違いないその人物を思って、堂上の眉間に皺が寄った。手元の時計に目を落とせば、もうまもなく消灯時刻だ。かの人が誘われて行ったその宴の開始時刻からして外泊届けを出す必要があるとも思えなかったから、おそらく今頃は無事に帰寮して部屋で休んでいるに違いない。 ……頭ではそう思うのに、どうにも気持ちが落ち着かないのは、彼女の酒の弱さをきっと誰より彼が一番身に染みて知っているからだ。 帰寮前に柴崎に指摘されたように、郁が特殊部隊の飲み会以外の宴会に出席した際に、酔い潰れたとも誰かに背負われて帰ってきたとも聞いたことがない。それでも、郁が堂上の出席しない飲み会に参加している日には、またひどく酔っ払ってはいないか、ちゃんと帰って来られるのかと気になって仕方がない。 そんな自分に気付いたのは、もうずっと前のことだ。それこそ、彼女が入隊して自分の部下になったばかりの頃から、ずっと。出来の悪い部下があちこちに迷惑をかけてはいないかと心配なのは、上官なのだから当然のことだった。 さらに言えば、特殊部隊の飲み会で酔い潰れた郁を寮まで背負って帰るのは、最初から堂上の役目だった。堂上からすれば飲んだとも言えないようなほんのわずかな酒で酩酊し、寝オチする郁を背負う役目を、誰もが「直属の上官が面倒を見るとしたものだろ」の一言で堂上に押し付けるからだ。 だが、今の堂上は、それがどれも言い訳だと知っている。 俺が、その役を誰にも譲らなかった。 上官だから──その一言を頼みに、一体どれだけの日々、自分の気持ちを偽ってきたのか。 笠原郁という人間が堂上にとって特別で、大切な存在だったのは、それはもう出会いの最初の瞬間からだった。あの日、あのときの凛と伸びた背中に出会わなかったら、今の自分はないとさえ言い切れる。 それだけではなくなったのは一体いつの頃からか。それは、胸の奥底に密かにしまいこんでいた宝石に名前が付いたその瞬間かもしれないし、あるいは、もっと後かもしれない。ただわかっているのは、自分は随分と長いことそれを頑なに認めまいとし、無理やり抑え込もうと一人で七転八倒していたことだけだ。 だが、いつからか、なんてことにはあまり意味はなかった。 今、上官にとっての部下としてではなく、一人の女として彼女をいとおしいと思う。そばにいたいと思う。触れたいと思う。そして他の誰にも触れさせたくはないと思う。 それがすべてだった。 しかし、そんな堂上の独りよがりな思いをもしも知ったなら、郁はどうするだろうか? 入隊当時こそチビだのクソ教官だのとさんざん人を罵った挙句にドロップキックまでかましてきた郁が、今は堂上に絶対の信頼を寄せてくれていることは、堂上にもわかっていた。そうでなければ、「何かあれば真っ先に堂上教官に相談します」とも……そして生死さえ危ぶまれるような激しい戦場で「最後まで一緒の光景を見ます」とも、堂上の目を真っ直ぐに見据えて言うはずがないのだ。あのどこまでも真っ直ぐな郁の言葉だからこそ、それは丸ごと受け取ってよいものだった。 しかし、それはあくまでも上官としての堂上に対しての言葉で。その肩書きをはずしてしまえば、二人はただの他人だった。 「上官だから」という言い訳はだからこそ、言い訳だとわかっていてなお、堂上にとっては必要なのだった。 そうでなければ堂上は、触れるどころか、郁のそばにいることすらできないのだから。 とはいえ、その言い訳も万能ではない。たとえば、今日、このときのように。上官だからと言っても、いや、上官だからこそ、同期の集いに誘われた郁を引き留めることなどできないのだ。柴崎には部下のプライベートに口を出し過ぎだと容赦なく刺されたが、ならば堂上に他にどんな選択肢があったというのか。まさかあそこで「笠原は俺と食事に行くからお前らとは行けん」などと言える訳がない。それこそ「口の出し過ぎ」だし、そもそもそんなことを言うつもりなどさらさらない。だからと言って、郁が同期と堂上のどちらを選ぶのかを黙って見守ることもできなかったのだ。 ……まったく、どれだけ余裕がないんだ、俺。 柴崎の指摘はまさにまっとうで──あの場で選択肢を持っていたのは郁ただ一人で、だから堂上が郁の行動を決めるのは全くの筋違いだった。今となればそんな当たり前のことにも納得するのだが、あのときはただ自分の思いを……自分が「上官」である以上、上官として郁によかれと思う道をとらせてやらねば、という思いだけで言葉を発してしまっていた。 しかし、同じ場面に再び遭遇したとしても、きっと自分は同じことを繰り返すのだろうと堂上は思った。 それが、「上官だから」という言い訳を切り札に使い続ける自分への罰なのだから。 ──クリスマスイブだってのに、罰しかないってのも味気ないもんだな。 ふとそう思ってしまって、堂上は苦笑した。別に堂上はクリスマスに思い入れがあるわけではない。それは昼間に郁に語って聞かせたとおりだ。ただ、今日はクリスマスイブだ、という事実を思い出しただけのこと。 だが、郁はそうではない。幼い頃から楽しんできたクリスマスというイベントを、大人になった今も楽しんでいる。 まるで子供のような──そう思っていたのは、しかし浅はかな勘違いだったのだと、今日一日で思い知らされた。 夢を贈られる側と、夢を贈る側。クリスマスにはその二種類の夢があるのだと、郁はきちんと知っていたのだ。そして、そのどちらの夢も守りたいと語った郁は、確かに一人の大人で、一人前の図書隊員だった。図書館までの道のり、少し照れくさそうに笑いながらそう語った郁は眩しくさえ見えた。図書隊員としていつの間にこんなに成長していたんだな、という感慨を抱いた上官としての堂上にも、ほんの小娘だと思っていた郁がふと気づけば年相応の大人の女性の優しい目をして見せることに小さく動揺した、一人の男としての堂上にも。 だが、そんな郁にとって、今日の事件はさぞ堪えたことだろう。子供たちの前で痛みをこらえて笑顔でい続けた郁がバックオフィスでようやく流した涙が、その痛みを多少なりとも洗い流していればいい。そう思う堂上の手に、肩に、嗚咽を漏らす郁のぬくもりが甦る。 ……ああ、罰だけ、ってわけでもなかったか。 本来ならば、郁には会うことすらないはずだった公休の今日。思いがけず寮のロビーで顔を合わせたときに、俺は運がいい、とひそかに心が躍ったことなど、郁が知るはずもない。挙句、借りていた本の返却にかこつけて付き合わせるに至っては、俺はどこの中学生かと我ながら苦笑したものだ。──まさかそのあと、あんな事件に巻き込まれることになるとは思いもしなかったが。 しかしあの事件のおかげで、堂上は郁の成長をあらためて感じ取ることができたし、そして──ほんの少しだけ、触れた。いつかと同じように肩口に抱きかかえた郁の頭の小ささと、鼻先をくすぐった髪の毛のふわりとしたやわからさとほのかなシャンプーの香りにくらみそうになった自分を押しとどめたのは、やはり「上官だから」の一言だった。 上官として、傷ついた部下を労って、励ましてやる。その言葉で言い訳が立つのは、たぶんギリギリ、ここまでだ。 自分はまだ、その線を越えて彼女をいたわり、抱きしめることができる場所にはいない。 まだ──いつか、その場所に行くことができるのか? 「上官」という枷は、ときに有効だが、ときに苦しい。それでも、自分が郁の上官であることを捨てる気などさらさらない以上、その枷とも折り合いをつけない限り、この場所から動くことなどできはしない。 どうしたら、お前に近付けるるんだろうな。 一番近くにいるはずなのに、手を伸ばせば届きそうなのに……手を伸ばしてこの手にしたいと、ようやく自分の正直な気持ちを認めたというのに、それを妨げるのはよりにもよって上官である自分なのだった。 それに……そもそもあいつの方がどう思ってるのかわからんしな。 上官として信頼されていることはわかっている。堂上もそれを面映ゆいながらもうれしく思う。 その信頼まで手放すことになったら……今のこの場所さえも失うことになったら。それがこわい。 こわいとか、まるで子供のような言い草だが、事実なのだから仕方ない。 そしてなにより、郁の気持ちを無視することもできない。信頼以上の何かを求めているのは堂上の勝手なのだから。 上官として。その理由が有効な場所でなければ、俺はあいつのそばにはいられない。堂上からすれば半歩ばかり線をはみ出した気持ちで無理やり約束を取り付けたお茶でさえ結局はそうだ。 でも今はそれでいい。郁の気持ちが見えるまでは……もしも、もう一歩近づいてもいいと思えることがあるとしても、そのときまではまだこの場所で── しんしんと積もっていく雪を見ながらつらつらと思いを巡らせていた堂上の背後で、携帯がメール着信を知らせる音をたてた。こんな時間に? と軽く眉をひそめつつ、ローテーブルの上で数度ブルブルと震えたそれを手に取りフラップを開けば、そこには今考えていた相手の名前があった。 どうした? 何かあったのか? 飲み会を終えてきっと今頃はもう部屋に戻っているだろうと思っていた郁からのメールに、堂上の胸がどきりとする。まさか本当に酔いつぶれて帰れなくなっているのか。いやそんな状態だったらメールなど打てるはずがない。しかし動けなくなった郁を見かねた同期が郁の携帯を使って堂上を呼び出すために連絡してきたとか……ちょっと待て、同期飲みで潰れたのまで俺が背負って帰るつもりなのか? というか、郁にとっての自分がそういうポジション──酔った女を連れ帰りに来る男と言えば、上官という肩書では済まないはずだ、普通──だと思われているとでも? 一体俺はどれだけ思いあがってるんだ。 自分の考えに思わず動揺しつつ受信メールを開けば、そこには明らかに郁本人が綴ったと思われる短い文章があった。 「お疲れ様です。今ロビーにいらして頂くことはできますか? 笠原」 ……ロビー? 堂上のひそめた眉がさらに寄る。消灯時間間際のこんな時間に、一体何の用なのか。とはいえ酔い潰れもせず、降り始めた雪に覚束ない足をすくわれることもなく、どうやら無事に帰寮したのは確かだということで、そのことに堂上は安堵の息を吐いた。その郁は今頃、寒いロビーで堂上の返事を待っているのだろう。 郁がどういうつもりかは全く見当もつかないが、待たせる訳にもいかない。手早く「今から行く」とだけ返信して、堂上はいつものフライトジャケットを羽織った。そうして部屋を出る足取りが心なしか急いているのを、堂上はもう否定しなかった。 |
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