サンタクロースの憂鬱 1

・・・・・from「Gift」

 バタン、と派手な音をたててドアが閉まった後は、室内の静けさが余計に耳にしみる。
 静けさといっても、実際には天井の空調から温風が吹き出る音やら、コピー機が大量に紙を吐きだす音やら、年代物のドットインパクトプリンタがけたたましく帳票を打ち出す音やら……年の瀬の業務部は、とっくに日が暮れたとはいえいまだオフィスアワーまっただ中で、だから今もそれなりに騒がしいのではあるが、それらの音は一日中ほぼ絶え間なく鳴り響いているから、既に騒音とも思えないほど耳に溶け込んでいるのかもしれない。あるいは、それらはあくまで機械がたてる音で、人の生み出す音ではないからなのか。いずれにしても柴崎の耳には音らしい音とは捉えられていなかった。
 ──ましてや比較対象が、あの賑やかな子のたてた音だから、なおさら。
 くすりと笑うと、柴崎はキーボードを叩いていた手を止めて立ち上がった。給湯室へ向かって積み重ねてある使い捨てのプラスチックカップを一つ取り上げ、コーヒーを入れる。あたたかな湯気を立てるそれはしかし、柴崎が飲むためのものではない。柴崎の愛用のカップは給湯室のキャビネットの中にしまってあるし、それに柴崎はオフィスではたいていほうじ茶しか飲まない。
 そのブラックコーヒーをプラスチックの盆に載せて、柴崎はフロアを通り抜け、部屋の反対側にあるパーティションの奥へと向かった。そこは表の貸出カウンターの補助業務を行うためのエリアだが、この時間になれば表のカウンターの混雑も収束している。だからそこは本来なら無人であるはずだったが、今は無人どころか普段ならいるはずのない人物がそこにいた。
「堂上教官? コーヒーお持ちしましたけど」
 パーティションの隅をドアの代わりに軽くノックしてのぞき込めば、一番手前の端末の前で堂上が手にした数枚の紙に目を落として寛いでいた……椅子に背中をもたれさせ、軽く投げだした脚を組んで座る様は、堂上には珍しく寛いだ姿だと柴崎は思った。少なくとも職場で、堂上がこういう姿勢をしているのを柴崎は見たことがない。
 まあ、職場とはいえ私服だし。そもそも本当なら今日はお休みだものね。
 柴崎の声に顔をあげて「ああ、悪いな」と上半身を起こした堂上に、「いえ、お引き止めしたのはこちらですし」と返しながら柴崎はそのエリアにあらためて足を踏み入れる。「仕事だ、構わん」と言って立ち上がった堂上の背後のテーブルにカップを置いて、「ブラックでよろしいんですよね?」と問えば、やはり「ああ」と短い答えが返ってくる。
「本当は笠原がいる間にお出しするべきだったんですけど。あの子が先に出てったってことは、もう報告書は終わられたんですよね?」
「ああ。業務部のとりあえずの控えに一部プリントしといたが、防衛部にオンラインで回してあるから、正式にはそっちで承認されたのをもらってくれ」
 そう言いながら、堂上が二枚綴りの書類を柴崎に差し出した。
 それは予想通り今日の事件──学生ボランティアによる置き引き・窃盗事件──の報告書で、一瞥しただけで必要十分な内容が記載されていることが見て取れる。郁に任せたらそれこそ何時間かかるかわからないだろうが、この優秀な上官の手にかかればさして手間のかかる仕事ではなかったのに違いない。
 ……いや、少し違うか。柴崎は思い直す。
 確かに堂上その人の優秀さによるところが大きいのだろうが、それでもやはり、彼がまだ柴崎たちの年頃に下っ端として今の郁のように山ほどの書類を書かされていた経験によるところも大きいのだろう。その経験の有難みを理解することは、今まさに慣れない書類にひーひー言っているさなかの郁にはまだ無理だろうが。
 ありがとうございます、と柴崎が報告書を受け取ると、堂上が「業務部にも連絡は行ってたんだろ?」と問うた。報告書にある置き引き・窃盗犯のことだろう。柴崎は肯定を示すために頷いて返した。
 その被害と容疑者については、当然の事ながらその日勤務の業務部員や防衛員に素早く伝達されていた。カウンターに入っていた柴崎ももちろん聞いており、郁が返却にやってきたときには既に閲覧室内を歩いていたサンタクロースに意識を払っているところだった。
 しかし、今日は非番の郁には知らせる必要はない。そのための公休日なのだから。
 そして、サンタクロースが犯人だなんて、あのクリスマスが大好きな子供のような郁には知らせたくなかった。館内で起きた事件だからいずれ報告の形で知るだろうけれども、その場で遭遇するよりは衝撃は小さくて済むはずだった。
 ……なんて、あたしもたいがいあの子に甘いものだけれど。柴崎は心の中でだけ苦笑する。
 だからカウンターで郁にサンタについて問われての会話もさらっと流したというのに、郁はその後よりによってサンタクロースと接触してしまうし、挙句、非番だというのに堂上とともに駆り出されて、さらによりにもよって郁が犯人確保の役を担うことになってしまった。
 結果としては、郁がそこにいたことで余計に大きな騒ぎにならずに済んだ部分が大きいのが事実なので、郁を巻き込んだ堂上の判断は間違ってはいなかったとは思うが、本来ならばその日配置されている防衛員やタスクフォースが対処すべき件である。堂上が職務に熱心なのは認めるし尊敬するけれども、さすがにやりすぎなのでは? と思わざるを得なかった。もちろん、そもそも偶然そこに堂上がいたからと言って駆り出す防衛部の方がおかしいのではあるが。
 そんなことを考えていた柴崎の心中を察したのだろう、堂上が珍しく苦笑を浮かべて言った。
「私服のタスクフォース隊員が館内に配置されていなかった訳じゃないんだがな。おはなし室に入るには、その……ちょっと具合が悪くてな」
 そう言って挙げられた今日の館内警備担当だった特殊防衛員の名前に、柴崎もつい噴き出してしまった。
 図書隊のエリート集団である特殊部隊の隊員は選りすぐった戦闘員だ。だからこそ、鍛え抜かれたその体を見るだけでそれと感じさせるような威圧感を持つ者も多いのだが、今名前を挙げられた隊員はその中でも特に……ありていに言えば、ごつい。隊長の玄田と張るくらいに、縦も横も大きく、顔もかなりいかつい。中身はそれに反して心優しいお兄ちゃんのような人なのだが。
 しかし、そんな彼がサンタクロースを囲む子供たちや母親たちの中にいたら……それは目立つ。違和感があるにも程があるだろう。
「なるほど、わかりました。それは仕方ないですね」
 特殊部隊といっても堂上や郁は決していかつい方ではないから、確かにおはなし室に潜り込むには適任だ。
 とはいえ、たまたまこの二人が図書館に来ていなかったら、防衛部はどうするつもりだったのだろう? もしもの話をしても詮無いことではあるが、今後またあるかもしれない今回のようなケースの対応も考えておかないと。柴崎の心にメモが一行増えた。素案を用意した上で次の業務部会で上申することになるだろう。
 そんな心のメモのことなど決して表には出さずにくつくつと笑う柴崎を見遣りつつ、堂上はやっと背後のテーブルに置かれたコーヒーに手を伸ばした。しかしそれに一口つけて、あ、と言うように一瞬止まったのを、柴崎は見逃さなかった。
「お疲れでしたし、お砂糖入れた方がよかったですか?」
 にっこりと、他の男なら一発でふらっといきそうな極上の微笑みを浮かべて言う柴崎に、堂上は逆に苦虫をかみつぶしたような顔を返してきた。
「……別に。甘いのは得意じゃないしな」
「あら、そうですか? 笠原が入れるともっと甘いでしょう?」
 堂上が軽く噴いた。それを柴崎はさらっと流して「部屋で笠原にコーヒー入れてもらうと、いつも砂糖多めなんですよねー。夜のお砂糖はよくないって言ってるのに」と半分ひとりごとのように言ってみる。そんな柴崎を、堂上がカップに目を落としつつ、しかし横目で恨めしげに睨んでいることに柴崎は当然気付いているが、それも軽くスルーだ。その代わり、それじゃ失礼します、とその場を出ようと振り返りしな、「そうそう、笠原と言えば」と言葉をつなぐ。
「てっきり、このあと笠原と食事にでも行くのかと思ってました」
 背後で堂上がまた噴いた。今度はかなり激しく。その音に、柴崎は報告書を受け取ってからでよかった、と思いつつ、肩を震わせないように細心の注意を払った。


>> 2


: love.love.library off→on stack room : TOP :


love.love.library/camoko 2008-2014