春咲小紅 1・・・・・from「ギモンケイの二人」 |
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ぺし。 ぺしぺし。 ぺしぺしぺし。 「……笠原。なんの真似だ」 いい加減、どうにかならんのか。 堂上はこれ以上ないほどに眉間にシワを寄せて、隣に座る郁を見遣った。 ぺし。 ぺしぺし。 「笠原!」 「……ふぁい?」 だめだこれは。 酔い潰れた郁を居酒屋から引きずり出し、無理矢理歩かせてようやく近くの公園まで連れて来た堂上は、なぜか今、ベンチで隣に座っている郁に腕を叩かれ続けていた。 ご丁寧に「ぺしぺし」なんて脱力しそうな擬音をつけて叩かれる腕は、もちろん痛くもなんともないのだが、なんで俺が叩かれなきゃならんのだ、という疑問に対し、目が開いていこそすれ、脳みそは半分以上寝こけているのだろう郁から解答を得るのは諦めるしかなさそうで、仕方なく、郁に叩かれるがままになっている堂上なのだった。 「いいから、水飲め。喉渇いてんだろ?」 叩かれつつ、ここまで歩いてくるまでの間に自販機で買ったミネラルウォーターのペットボトルのキャップを開け、郁に差し出す。とりあえず、水飲んでとっとと酒を薄めてくれ。郁は半分とろんとしながらも「わーい、ありがとうございますー」とか言いながら、ボトルを受け取るとうまそうに水を飲んだ。 やっと謎の「ぺしぺし」から解放された。 堂上はほっと息をついたが、そこは酔っ払いのやることで、締まり切らなかった唇の端から飲みそこなった水が数滴したたり落ちた。 「ああもう、何やってんだお前、幼稚園児か」 でもって俺はお母ちゃんか。 頭を抱えたい気分でポケットからハンカチを取り出し、郁の口元を拭ってやる。 と。 郁の目がまんまるになった。 そして見る間に、顔が夜目にも赤くなるのがわかった。 ふと冷静に今の状況を振り返れば。 夜の公園のベンチに二人並んで腰掛け。 堂上の右手はハンカチを持ってはいるが郁の口元に、左手は頭を支えるために郁の右頬を包んでいる。 それは傍から見たら、今にもキスしそうなシチュエーション。 ばっ……こいつ、酔っ払いのくせに、なんでこのタイミングで正気を取り戻すんだっ! 普段ならそこで即座に頭をはたいて放り出すところだったが、どうしたことか、堂上の方もそのまま固まってしまった。結果、間近にある郁の顔をまじまじと見つめてしまうことになる。 いや、見つめてしまったから固まったのか。 普段のように背筋を伸ばすことができないでくったりしている郁の顔はいつもより低い位置にあって、珍しく堂上が見下ろす角度になっていた。 街灯の青白い明かりを映した郁の瞳は、酔いのせいか少し潤んで見えた。少し開いた唇は、水を飲んだあとだからか、湿り気を帯びてやはり街灯の明かりを照り返して小さく光っている。そして、堂上のその手が包んだ頬はほんのり赤らんで、ふんわりとやわらかくて、あたたかくて……ああ、きっとそのせいだ。あまりに昼間のぎゃーぎゃーうるさいこいつと違うから……調子が狂った。 もう少しだけ、触れたい、なんて。 ハンカチがぱさりと落ちる。 空になった堂上の右手が、ハンカチの代わりに郁の左頬を包んだ。 こんなことをしたら、余計に硬直するか、あるいは暴れだすか、と内心ひやひやしたが、さいわいそのどちらの反応も起きなかった。それどころか、まんまるだった瞳はいつしか甘い憂いさえ帯びて堂上を見つめていた。それはまるで……「女」の顔。初めて見る郁のそんな表情に、堂上の胸がどくんと脈打った。 ……誰だ、これは。本当に笠原なのか? しかし、その問いの答えはイエスしか有り得ないことも当然わかりきっている。堂上をまっすぐ見つめるその瞳は他の誰でもない郁のものだ。 そういえばここしばらく、こいつにこうして正面から見られることが以前より減った気がする。はっきり言ってしまえば、目を合わせるのを避けられているのかと。そんなの気のせいだ、自意識過剰にも程がある、と思っていたが、やはりそうではなかったのだと、こうしてまっすぐに見つめられて堂上は気付かされた。 久しぶりに見る、郁のまっすぐな瞳。 ただ、いつもと違うのは、ほのかに漂う「女」の気配。 くるくるとよく表情を変え、ギャンギャン吠える割には思った以上に涙もろい瞳に、いつまでも子供のような、と思っていたが……そうだな、年頃の女なんだよな、お前。 もうとっくに、十八歳の、おびえた瞳の高校生じゃない。 わかっているのに……わかっていなかった。 今、俺の部下として手元にいるのは、凛とした背中だけではなく、笑顔も、泣き顔も、正面からぶつけてくれるようになった、二十四歳の笠原郁だ。 あの日の少女じゃ、ない。 しかし、目の前にいる郁は、堂上の知るどの郁ともまた違う……甘やかな瞳で変わらずに堂上を見つめる。何も言わず、ただ、まっすぐに。普段のはじけっぷりが嘘のように。 まるで、夢のように…… 「誰?」 |
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