彼と彼女と酒と微笑 2

・・・・・from「ギモンケイの二人」

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 二年前の実験情報部立ち上げの際、図書隊内の有望な人材には極秘の内に一通り声がかかっていた。それは特殊部隊であっても例外ではない。白羽の矢がたったのは、小牧だった。
 そして、小牧はその誘いを、断った。
 惜しいな、と、今でも情報部の上官が呟くことがある。それほど期待されていながら、小牧は驚く程あっさりと断ったという。
「ちゃんと理由はお伝えしたけど?」
 聞いてるでしょ? 柴崎の微笑に負けない程にっこりと笑って、小牧は答えた。

 自分は図書特殊部隊の一隊員として、その職務に専念したく思います。

 それだけ言って、とっとと戻って行ったよ。
 上官から聞かされたそれを柴崎は思い出す。
 極秘の隊内スカウトにあたって、当然のことながら対象者の身辺調査が行われていたから、例えば家庭の事情などで勤務に制約の生じるものはその時点で除外されていたし、情報部が極秘であるがゆえに兼務とならざるを得ない現在所属の業務に関しては、当然上層部の了解のもとに、不自然でない程度の調整が行われることになっている。それはもちろん対象者にも条件の一つとして伝えられていたが、調整が入るにしてもやはり兼務となればかかる負荷は増すのも目に見えていて、それを理由に辞退した対象者も少なからずあったという。
 ましてや、特殊部隊と兼務となれば、他部署と比べても特に負荷が大きくなるのは明らかで、だからまあ、駄目元ではあったがな、と、苦笑する上官の顔が浮かぶ。
 でも。柴崎は思う。
 この男がそれだけで内示を蹴る訳がない。
「それだけじゃないですよね?」
 小牧の、それから自分のお猪口に酒を注ぎ足しながら尋ねる。その物腰はあくまで優雅だ。
「言わなくてもわかってると思うけど?」
 こちらも変わらぬ穏やかな笑みを浮かべて注がれた酒をあおる。
 傍から見たらにこやかに酒を飲み交わす美男美女カップルだが、その会話は主語も目的語もなく、しかも疑問文ばかりで、なぜ、そして何の会話が成立しているのか全く意味不明だろう。
 そう思うと少しおかしくて、柴崎はふふっ、と小さく笑った。
 ホントに、惜しい人材を逃したものね。
 上官から聞いた理由、それももちろん真実だろう。検閲から図書を守る最前線である特殊部隊に勤める誇りと覚悟は本物だ。それは特殊部隊との付き合いが深い柴崎もよく知っている。
 小牧が断った本当の理由、それは、毬江の存在だ。
 特殊部隊勤務の今だって毬江に気を配ることに限界があるのに、情報部と兼務になって今より更に時間の制約が厳しくなっては、毬江が図書館に来た折りに助けるどころか、顔を見ることすらままならなくなるかもしれない。
 まさか、小牧ほどの男が、そんな理由で断ったとは、誰も夢にも思うまい。
 しかし、小牧だからこそ、それを選択したのだ。
「もしそのことがなかったら、受けてました?」
 お猪口の中、ゆらゆら揺れる自分の顔を見ながら柴崎は聞く。返ってくる言葉もわかっていたけれど。
「俺にとって、それのない人生なんて有り得ないから、その質問は無意味だね。柴崎さんだってわかってるでしょ?」
 またこの男は、臆面もなくそういうことをさらりと言ってのける。先に席を立った朴念仁どもも少しは見習えばいいのよ、なんて思いながら、柴崎は苦笑した。
「そうですね。わかりきったことを聞くなんて、あたしも酔いが回ったかしら」
「またまた、顔色ひとつ変えずに」
「……ちょっとね、最近、そーゆーのもいいかも、なんてうっかり思っちゃったもので」
 どこまでも、何よりも、毬江を大事にする小牧の真っ直ぐな愛情が柴崎には眩しい。そして、それを全身で信頼して受け止める毬江も。
 それが本物だと、本人の口から聞いてみたかったのかもしれない。
 ふと漏れた柴崎の本音に、小牧は、お、と少し驚いたように眉を上げ、しかしすぐに元の笑みを浮かべた。
「ああ、柴崎さんはね、目の前で毎日あてられっぱなしだから」
 ……話をすり替えたわね。
 柴崎はお猪口から顔をあげて向かいの小牧を上目使いに見上げた。ま、いいけどね。あながちそれも間違いではないし。さっきまで子供みたいな寝顔をさらしていた友人の顔を思い出す。あの子の百面相に振り回される王子様の仏頂面も。
「でもいいじゃない? 柴崎さんだってそーゆーのに溺れてみても」
「ごじょーだん。だいたい、あたしが溺れられる程の器がそんなにあっさり身近に転がってる訳ないし?」
「……お前、カナヅチだっけ?」
 レシートを持って戻ってきた手塚が、背後から妙にとんちんかんな台詞で会話に割り込んだ。これより前の会話は聞いていなかったはずだし、もし聞いていたとしても、いくら察しのいい手塚でも内容を把握するのは恐らく不可能だろう。
「んー、ジムのプールで週に一回一キロ泳げるくらいのカナヅチ?」
 柴崎はにっこり笑って背後に立つ手塚に返した。手塚は訳がわからない、という顔をして、あ、そ、とだけ言った。
「会計済みました。精算は明日に事務室でいいんで」
「そう? ありがと手塚。じゃあ、出ようか」
 言って小牧が立ち上がった。続けて柴崎も。手塚はそれに自然に手を伸ばした。
「……なんだよ」
 差し出された手から手塚の顔へと視線を移した柴崎に、手塚が不審げな顔をする。
「ホントに育ちがいいのね、と思って」
 淡々と言って柴崎は手塚の手をとって立ち上がった。そんなこと、と小さくつぶやく手塚の肩を小牧がぽん、と叩く。
「俺、ちょっと寄り道してから帰るから、二人ともお先にどうぞ」
「あ、堂上二正と笠原は」
「さっき出るときに笠原さんの荷物も持ってたから、そのまま帰ってるよ、きっと。それじゃあね、よいお休みを」
 お先にどうぞ、と言いながら、小牧の方が先に店を出ていってしまった。まだ時間は二十一時過ぎ、毬江にメールでもするのだろう。
 それを追うように手塚と柴崎も店を出た。夜の街は宴会帰りと残業帰りの人々で、まだだいぶにぎやかだった。
「さて、次どこ行こうかな。日本酒のおいしいの飲みたいなー」
 柴崎が、んー、と頬に人差し指を当てながら言うと、手塚は軽く眉をしかめた。
「まだ飲むのか」
「当たり前でしょ。まだ全然飲んだ気がしないわ。目の前は上官だし隣はさっさと酔い潰れてるし、気を遣うったら」
「……おまえが誰よりフリーダムに飲んでた気がするが」
「それに、いい店見つけたって、笠原連れて行ったってすぐに潰れるのが目に見えてるし? まさかよその上官誘う訳にもいかないし?」
 しかも人のモノだしね? と続けたが、そこに「予定」も含まれているとは、きっとこの鈍い同期は気づいていないだろうな、と思いながら柴崎は、さ、行くわよ、と頭の中で目星をつけた店へさっさと歩き始めた。背後で「しょうがねえな」とかつぶやきながら手塚がついてくるのを感じながら。
 あんたなら、ちょうどいいのよ。潰れることもないしね。
 心の中でだけそう言って、柴崎は軽やかな足取りで夜の街を歩きだした。


fin.


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