GOD ONLY KNOWS

・・・・・from「休暇の予定」

 部屋に入ってくるなり笑われた。
「言わんとすることはわかるから、とっとと座れ。さもなきゃとっとと帰れ」
 ドアを開けたその場所で、片手にビールとつまみの入ったコンビニ袋をぶら下げ、もう片方の手で腹を抱えて笑いこける小牧を見上げつつ、堂上は諦めの表情で既に開けていた缶ビールをごくりと呑んだ。
 そう、小牧の言いたいことはわかっている。
 なぜなら、堂上の部屋に入ってきた彼の視界にまず飛び込んだのは、きっと壁のアレだったのだろうから。
 残りわずかになったビールを一気にあおって空になった缶をローテーブルの上にたん、と音を立てて置くと、堂上は自分の正面の壁に掛けられた「アレ」を見遣った。

     *

 ひとしきり笑い転げて気が済んだところで、小牧はようやく堂上の向かいに腰を下ろすと手持ちのコンビニ袋からビールを取り出してプルタブを開けた。それに合わせるように堂上も冷蔵庫から自分の二缶目を取り出して封を開けると「お疲れ」と言いながら小牧のそれにカツンと当てた。
「おつかれー。……あー、うめー」
「あんだけバカみたいに笑ってれば当たり前だ。喉が枯れる程笑いやがって」
「いや、枯れるまではいってないよ。ちょっと乾いたくらいで」
「十分だ、アホウ」
 冗談抜きで本当に笑いすぎて喉が渇いたのだろう小牧がそれはそれはうまそうにビールを呑むのを軽くにらみつけてから、堂上は小牧の持ってきたコンビニ袋から残りのビール数缶を出して冷蔵庫に移し、それから同じく袋から出したピスタチオのパックを開けてテーブルの上に載せた。いつの頃からか、お互いの部屋で呑むときのつまみは訪問する方が持ってくるならいになっている。もちろん部屋で迎える側も手持ちのつまみを提供するが、先に開封するのはゲスト側のもの、というルールもなんとなく決まっていた。だから今回も小牧の持ってきたものを先に開けたのだが、
「あとで久しぶりに焼酎どうだ」
 言いながら、堂上が再び冷蔵庫を開けて中から小さな箱を出してきた。
「妹が暮れに北海道に行ってたらしくてな。こないだ実家に行ったときに土産にもらったんだが、これだったらビールより日本酒か焼酎だろ」
 言いながらピスタチオの横に置いた箱を小牧が手にする。「開けていいぞ」と言われて蓋を開ければ、中からイカの塩辛の瓶が出てきた。
「へえ、これ有名な店のやつじゃない。北海道の旅グルメ番組なんかだと必ず紹介されてる」
「そうなのか? 確かに、うまいやつをわざわざ並んで買ってきてやったんだからありがたく食え、と恩着せがましく渡されたが」
「静佳ちゃんらしいね」
 小牧も以前何度か会ったことのある堂上の強気な妹を思い出してくすくす笑う。
「相変わらずとんだ女王様で困ったもんだ」
 言葉だけならどこまでもネガティブだが、実際それを口にする堂上の顔はだいぶ笑みの方が強い苦笑で、こちらもうまそうにビールをあおった。それを、堂上の苦笑に負けないにやにや笑いで見返す小牧に、今度は苦みばかりになった顔で堂上が苦情を申し立てる。
「なんだ、気持ち悪い笑い方しやがって」
「気持ち悪いとはひどいな。今日はやっぱり堂上がえらいご機嫌だなあと微笑ましく眺めてるだけじゃないか」
「ご機嫌?」
 小牧の言葉をそのまま繰り返せば、言われた小牧の笑みはますます強くなる。
「ご機嫌だろ? だって明日は念願のデートだもんな」
 言いながら、小牧は背後を振り返る。その壁には先ほど部屋に入ってくるなり小牧を上戸の渦に突き落としたもの──おろしたての私服が一揃い、作りつけのフックに二本のハンガーに分けて掛けられていた。
「明日そんなに朝が早い訳でもないんだろうに、もう既に準備万端なんだな。よっぽど楽しみなんだなーと思ってさ」
「……悪いか」
「お、開き直った」
「お前に今さら何を取り繕っても無駄だわ」
 半ばヤケになったような口調で言ってピスタチオをつまむ堂上に、小牧の上戸がまたぶり返した。
 そうだね、今さらだね。
 思い出し笑いが止まらなくなった小牧の脚を、テーブルの下で堂上が蹴っ飛ばした。

     *

 世の中の正月休みが終わるのと入れ替わるようなタイミングで、堂上班には三日間の年始休暇が入っていた。
 この正月も相変わらず実家に帰らない郁を除き──さすがに茨城県展警備の折の出来事からまだ日の浅いこの時期に帰省するのはいろんな意味で難しかろう、と誰もが思った──残りの三人はいずれも実家へ戻った。
 三人とも実家は都内だが、特に小牧は図書基地と同じ市内だから普段から割とよく家に戻ってはいた。しかし短い休みで都合が合えば実家に滞在するよりはむしろ隣家の毬江と出かけることの方が多かったから、「正月くらいはお隣じゃなくて実家に帰ってきてくれるかしら」と母に釘をさされて苦笑せざるを得なかった。いずれにしても毬江は受験直前の追込み中でデートどころではなかったし、小牧も久しぶりに実家でのんびりさせてもらっていた。
 しかし、三日間の貴重な休みをずっと実家でごろごろしているのも性に合わない。それで二日目の午後は久しぶりに新宿まで一人で買い物に出ることにした。毬江とデートで買い物に出ることも多いが、そんなときはやはり毬江の行きたい場所を優先して回ることが多かったから、たまには一人で気楽に自分のための買い物をするのもいいかと思ったのだ。
 ちょうど正月明けの冬物セールが始まった時期で、平日とはいえデパートやショッピングモールはどこもぼちぼち混んでいた。我ながら男性には珍しいタイプなのかもしれないが、あちこちのショップを見て回って買い物すること自体、決して嫌いではない。そろそろ日が暮れようという頃までには、小牧はお気に入りのブランドのショップをいくつか巡って戦果をあげていた。
 電車に乗る前にコーヒーでも飲んで行くかな。そんなことを思いながら下りエスカレーターに向かった小牧の視界の隅に思いがけず、やけに見慣れた人影があった。そこで迷わず回れ右をすると、その人物の背後に当たる位置を確保し、まずは様子を見守った。
 その人物は遠目にも買い物慣れしていない様子が窺えて、ここぞとばかりに貼り付いた店員に商品を並べられては何をどう選んだものかと考え込んでいるようだった。
 普段はあんなに、何に対しても決断が速いくせに。
 小牧はもうしばらく見守って、やがて歩き出した。そのショップの反対側から入り、彼の背後にぴたりとつく。
「あのジーンズに合わせるんだったらこっちのシャツのがいいんじゃない?」
 何の予告もなく背後に立った小牧に堂上が「うあっ!?」と彼には珍しい素っ頓狂な声をあげた。

     *

「いやー、まさか本当に上から下まで一気買いするとは思わなかった」
「もうあれこれ合わせるの考えるのめんどくさいんだよ」
 お前みたいにそういうの好きならいいんだろうけどな。そう言って堂上はビールを呑むが、何缶目かのそれはもう空になってしまったらしい。先ほどの宣言通り、今度は芋焼酎の瓶を持ってきた。蔵元直送の限定品だとかで、小牧や手塚が同席する部屋飲みではめったに出てこないやつだ。「お前ももう呑むか?」と問われたのに小牧が頷くとグラスを二つ出してきて氷を入れた。あとは各自セルフサービスだ。
「それにしたって、まさかいまだに行ってなかったとは思わなかったよ。どんだけ引っ張ってたのさ」
「うるさい。いろいろあんだよ」
 不貞腐れたように見せかけて、決して不機嫌な訳ではない声で言いながら、堂上は自分のグラスに焼酎を三分の一ほど注いだ。常温の焼酎に氷が解けてカランと鳴る。
 先日偶然居合わせた堂上の買い物に途中から強制介入した小牧は、その「一気買い」の理由に心当たりがあった。
 堂上に限ったことではなく、いい歳した成人男子が、いくら買い物が苦手だからと言っても本当に上下揃えて一気に買うような理由など、そうそうあるものではない。そしてその筆頭にあげられるのが、

     *

「笠原さんとデート?」
 小牧と堂上は互いの戦利品を持って一緒に中央線に乗った。小牧の実家は図書基地と同じ武蔵境、堂上は国分寺。新宿からの帰りの電車はどうしたって同じオレンジ色だ。その車内で吊革に掴まりながら小牧は単刀直入に問いかけた。
 堂上は少し驚いたような顔をしてから「いや、」と一言発し、宙を見上げると自分で再確認するように「うん」と頷いて、隣に立つ小牧を斜めに軽く見上げた。
「付き合ってる訳でもないのにデートとは言わんだろ。ただ、随分前からお茶に連れて行けと言ってあってな。次の休みで行くことになってる」
 堂上のその言葉に、小牧は軽く目を瞠った。
「お茶、って、もしかして、昇任試験の後に言ってたアレ? カミツレのお茶ってやつ」
 今度は堂上の方が目を見開く番だった
「なんでお前がそんなこと知ってるんだ。あれか、柴崎か?」
 確かに郁と同室で仲の良い柴崎なら、郁が堂上と一緒に出掛けるとなればその予定は把握しているだろうが、それを小牧にリークするかと言えば……いや、確かに出かける予定の話は聞いているけれども。
「そうじゃなくて、俺、あのとき二人が話してたの見てたもん。もちろん盗み聞きしてた訳じゃないよ。聞こえちゃっただけで」
「なんだと!?」
 思わず声が大きくなって、堂上は慌てて口をつぐむ。そういうとこ、笠原さんのこと言えたもんじゃないよね、と小牧はくつくつ笑う。
「だってあのとき、訓練終わって事務室に戻る途中だったろ。一緒に訓練やってたんだから、俺だって同じルートを通るさ」
 とは言え、二人が何やら話している横をしれっと通り過ぎる程無粋ではない。会話が終わるまで廊下の曲がり角で待っていたのだ。そこで決して盗み聞きしていた訳ではないのだが、小牧から見ればこちら側を向くかたちになっていた堂上の声は、低いながらもよく通る声なのでところどころが聞こえて来ていた。その最後に聞こえたのが
 ──今度どっか飲める店に連れてってくれないか
 予想外の展開に曲がり角の陰で目を瞠ったものだった。あれだけ郁への思いを否定していたくせに、堂上、ついに動くのか?
 しかしその後、二人があの約束(と言っていいものかどうか)を果たした様子はなく、そのままなし崩しになかったことになっていたのかと思っていた……というか、小牧自身がすっかり忘れていた。あれはまだ有効だったのか。ていうか、まだ決行されていなかったのか。
「そうか……そうだよな。あそこで人が通らない方がホントはおかしいもんな」
 小牧の種明かしに冷静さを取り戻した堂上が苦笑する。それに小牧が重ねてフォローを入れた。
「でも、俺の見てた限りでは俺しかいなかったよ。手塚は確か、あの後は事務室に戻らずに続けて射撃訓練に行ってたはずだし。……それはまあ、当時のこととして、それで? 今日の戦利品は戦闘準備ということでよろしいんですか、班長?」
 小牧が堂上を班長呼びするときは、からかいか嫌味かのいずれかだ。今日のこれはもちろん、前者。しかし堂上はその挑発に乗ることもなく「そうだな」とあっさり認めたので、小牧は、へえ? と眉を上げた。
「デートじゃないんだろ?」
「まあ、そうなんだけどな。でも、なんていうか……観念した」
 そう言って再び堂上は小牧を見上げた。その顔には相変わらず苦笑が浮かんでいたが、しかし、小牧を見るその眼は決断した人の強さを宿していた。
「そっか。……長かったねえ」
 堂上と郁の出会いの見計らい事件から数えればもう七年。郁の入隊からでもまもなく三年たつ。堂上は随分しぶとく自身の感情を認めることを拒んでいたが、小牧の知るところ、知らないところでいろいろなことがあり、いろいろなことを考えたのだろう。
「お前に言われたかないわ」
 堂上がそう言うのは照れ隠しもあるだろうが、そう言われても仕方のない身なのは小牧自身もちろん自覚している。長さとあがきっぷりで言えば実際のところ堂上の比ではない。だが、
「俺だからこそわかるさ」
 説得力あるだろ? と付け加えれば堂上も「確かに」と笑った。

     *

 自分が浮かれている自覚はある。堂上はグラスに焼酎を注ぎ足しながら思う。
 明日の外出はデートなんかじゃない。だって俺たちは付き合ってる訳でもなんでもない。
 ただ、こうして約束をして、二人だけの時間を持てることを、俺はうれしく思っている。楽しみにしている。それはもう、堂上本人が驚く程に。
 まるで中学や高校のガキのようだと我ながら思う。だがそれの何が悪い? 惚れた女と会うために新しい服を誂えるくらいいいじゃないか。
 どうか彼女の方も、自分と同じくらいに浮かれているといい。楽しみにしていてくれたらいい。
 そして願わくば、明日ここに帰ってきたときには、「今日はデートに行った」と思い返せればいい、と思う。
「なに、勝算、あるんだ?」
 堂上と同じく焼酎のグラスを手にしてカランカランと氷を鳴らしながら小牧が半身を乗り出してくる。そのグラスに焼酎を注ぎ足しながら堂上は「いや、」と苦笑した。
「こればっかりは、神のみぞ知る、だな」

 そしてその十二時間後、最初の願いは武蔵境駅で叶えられたが、二つ目の願いの成就までには、このあと半年以上もお預けを食らうことになったのだった。
 どこにいるともしれない神様はなかなかのドSだった──などと、病院のベッドの上で郁を抱きしめながら堂上が思ったのは、小牧には絶対に秘密である。


fin.


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