summer holiday, winter holiday 1

・・・・・from「休暇の予定」

 あれは小学校の何年生のときだったか。社会の授業か、あるいは理科の授業だったのか、それすらまともに覚えていないけれど、それでも、日本のほとんどの地域が気候帯の分類で言うところの温帯気候なのだ、と習ったことだけはなぜか覚えている。
 だがしかし!
 もうそれ古い情報だよね、そりゃあ今でも春夏秋冬の四季は確かにあるけれども、少なくとも夏の東京は完全に亜熱帯気候だよね、だってこの気温とかゲリラ豪雨という名のスコールとかこの気温とか!
 ……という話を、この季節を迎えるたびにそのときどきの友人とするようになってから何年たったか。ただいま昼食のテーブルを共にしている友人たちとだけでもこれがもう三年目であるから、どう短く見積もっても五年では到底ききそうにない。
 その、同じ話を三度目に交わしている友人たち──図書隊の同期の業務部員数名と一緒に、郁は食堂の窓から見えるピーカンの青空を見上げてため息をついた。
 まだ七月も始まったばかりで梅雨明けは当分先のはずなのに、ここ数日は雨どころか各地で七月の史上最高気温を叩き出す酷暑が続いている。雨の日よりはよく晴れた日の方がずっと好きな郁でも、さすがにこの暑さには辟易していた。
 そりゃあ郁は防衛員として恥ずかしくない程度には鍛え上げているから、この暑さでも完全にバテてしまうことはないが(そんな郁を捕まえて業務部の子には「超人か!」と言われるが、選り抜きの強者揃いの特殊部隊で唯一の女である自分が足を引っ張らないためにはどれだけ鍛えても足りないから、郁的にはどうしたって「恥ずかしくない程度」と言わざるを得ないのだ)、だからと言って全く堪えていない訳ではない。休息や水分をしっかり取るように心掛けていても、あまりの暑さにぼうっとしてしまうときも残念ながらあるし、そのたびに上官に頭を小突かれている。
 とはいえ、その小突く強さがいつものポカのときより少し弱いような気がするのは、さすがにこの酷暑を考慮して、多少の心配が含まれているからかもしれない。……ま、心配ってね、その、アレよ、上官が部下の心配してくれてるだけの話で、当然っちゃ当然のことでね!
 と、無駄に自分に都合のよい妄想を繰り広げ始めそうになった自分の頭を、郁はぶんぶんと振った。
「何してんの、笠原」
「いやっ、何も!?」
 突然の挙動不審を見咎めた友人にあわあわと答えになっていない言葉を返すと、郁はあらためて手元に開いたペラ紙を見下ろした。
 関東図書基地防衛部図書特殊部隊正化三十三年八月度勤務希望表。
 漢字ばかり二十九文字のやたら重々しい名前のそれは、要するに、郁の来月のシフト希望表である。
 特殊部隊のシフト管理は副隊長の緒形により行われており、特殊部隊全隊員が前月の十日までに希望表を提出することになっている。休暇希望などがなくとも全員が提出必須となっているのは、この希望表には事前に確定している図書館でのイベントやそれらに伴う警備予定も記入されている為で、それらを各自確認したという証明でもある。
 郁の手元にある八月分には、さすがに夏休みシーズンらしく児童向けのイベント予定が普段より多めに記載されていた。ただイベント内容から察するに、おそらく特殊部隊が出張るようなものでもないだろう。日常警邏を除く臨時の警備予定の欄は思いのほか空白が多い。だからと言って決して暇な訳ではなく、夏休みはやはり普段よりも利用者が増えることもあって日常の館内・館外警備で思いがけないトラブルが発生したり、またこの酷暑のために体調不良で行き倒れる利用者があったりと、忙しさが増すのは毎年のことである。
「夏休みねえ……」
 郁は人差し指でシフト希望の記入欄をトントンと叩く。どの日付もまだブランクのままだ。
 図書隊は業務部も含めほぼすべての隊員がシフト勤務だから、夏季休暇も固定ではなく各自の希望とそれぞれの部署の人員配置との調整の上で取得することになっている。とはいえ「夏季」と銘打ってあるからには取得可能な期間も定められており、毎年九月末までがリミットだ。そして今年の郁の夏季休暇は、まだまるっと三日間残っていた。
 ……せっかく、初めてマトモに夏休み取れるんだけどなあ……
 一年目の夏休みは、勉強で終わった。
 奥多摩での特別訓練の後、図書基地に帰ってからの内勤業務のあまりのお粗末さに、柴崎のシフト休暇に合わせて夏休みを取り、拝み倒して勉強に付き合ってもらったのだった。
 そして二年目、去年の夏は、例の査問の真っ只中で夏休みどころではなかった。手続き上やむを得ず休暇取得はしたけれど、部屋から出る気にもなれず、とても休んだ気などしなかった。
 そんな二年間を経て、郁にとっては社会人三年目にしてようやく夏休みらしい夏休みが取れる訳で、だから郁の心も一度は沸き立ったのだが、あらためて考えてみると、夏休みだからと言って帰省は出来ればしたくないし、かと言ってわざわざ長く休みを取って出かけるあてもない。それにまだまだ新米の郁ごときがそんな連休を申請してしまっていいものかと躊躇してしまうのも正直なところである。もちろん休暇取得は正当な権利だし、と言うかきちんと取得するよう指導されているのだから、むしろ文句を言う方が筋違いだということもわかっているのだけれども、頭での理解と心情的なものは必ずしも噛み合わないものである。
 そんな具合なので七月分では申請し損ねてしまったが、今頃になってようやく
「八月の末辺りから一日ずつ分けて適当に消化すればいいや」
 という結論に落ち着いたところなのだった。
「なあに、八月のシフト?」
 郁の手元を覗き込んだ友人が声をあげる。
「うん。夏休み、いつ取ろうかなーと思って」
 郁が応えれば友人も「意外と悩ましいよねえ」と請け合った。
 業務部だって夏休みは繁忙期だ。まとまった休みは同様に取りづらいだろう。それに、
「子どもさんがいる人は子どもの夏休みに合わせなきゃいけないだろうし、帰省する人なんかもねえ、お盆に帰らなくちゃいけないのも仕方ないし」
 そういった事情の人を考慮するとなると、その皺寄せ、と言っては言葉が悪いが、予定の調整が付けやすい独身若手が休みをずらすことになるのは、業務部も防衛方も変わらない。
 さて、とりあえず八月中に一日休みを取るとして、どの日にしたら一番当たりが小さいだろうか、と考えていた郁の耳に、思いがけない言葉が飛び込んできた。
「ねえ、だったら笠原もさ、八月はがっつり働いて、九月に休み合わせてどっか行こうよ。温泉とか!」
「へっ?」
 うっかり素っ頓狂な声をあげつつ郁が顔をあげると、同期の一人が早速自分の手帳を取り出していた。
「たまにはいいじゃない。そうでもしないと笠原とはなかなかゆっくり話せないんだもの」
 そう言いながら笑う彼女の横でもう一人の同期が「そうだそうだ、あたしたちがあんたに合わせるより、あんた一人が合わせてくれる方が早い」と勝手な言い種だ。だがそれが、同期どころか図書隊すべての女子の中でただ一人特殊部隊に所属しているがために他の部の友人たちとスケジュールを合わせることが難しく、交流が少なくなりがちな郁への気遣いであることは明らかで、郁は「いい仲間に出会えてよかったなあ」としみじみ思うのだった。
 が。
「あはは、ありがとね。でも、やっぱりちょっと相談してみてからでいいかな?」
 夏休みを取るのに文句を言われることはないだろうが、何が何でも譲れない訳でないのだし、もしどうしてもずらせない休み希望がある人がいるならそちらを優先するべきだと思う。だから返事はその辺りを確認してからだ。郁の言葉に友人たちも「もちろん。いい返事を期待してるわ」と笑って返してくれた。
 久しぶりの夏休みは、楽しいものになりそうだった。


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