summer holiday, winter holiday 2

・・・・・from「休暇の予定」

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 郁が緒形に希望表を提出する前に(そもそも九月のシフト希望の提出はまだ一か月先だ)、まずは直属の上官である堂上に相談しなくてはならない。
 今まで、友人の結婚式などで単発の休暇申請をしたことはあるが、連休の申請は初めてだ。別に手続きが変わる訳ではないのだが、なんとなく躊躇してしまうのは、やはり「自分のような若輩者が」といった気後れのせいだと思う。もちろん、それで目くじら立てるような上官ではないことはわかっているのだけれど。
 郁は、基本的に仏頂面だが、だからと言って実際のところは常に青筋立てて怒っている訳ではない、ある意味ちょっぴりわかりづらい上官の顔を思い出していた。
 それからついでに、その上官とした約束も。
 ……いや、あれを「約束」と言ってもよいものだろうか。郁は今までに何度思い返したかわからない、あの不思議な数分間の記憶をを再び頭の中に呼び出す。
 暦の上ではとっくに春とはいえ、まだまだ冬の冷えた空気を伴う淡い夕日が差し込む特殊部隊庁舎の廊下。堂上の、男性らしい大きくいかつい手の中に、郁が予定外に無造作に差し出す羽目になったアロマオイルの小さな青い瓶。その香りを楽しむためにひととき閉じられ、そして満足したようにゆっくりと開かれたまぶた。その奥の瞳がかすかに微笑んだのを郁は覚えている。
 ──飲めるって言ってたな、確か
 そりゃあ、花の香りをかいで、この花のお茶がありますよ、と言われれば、飲んでみたいと思うのは自然な成り行きであろう。だからそのこと自体は別にどうということはない。問題はその後だ。
 ──今度どっか飲める店に連れてってくれないか
 ええと、あの、だから、それって、それって!?
 予想外の言葉に動転してしまったのは、自分がそういう場面に免疫がなさすぎるからだということは重々承知だ。だって郁のこれまでの人生で男性と二人きりで喫茶店なんて──あ、あった。そういえば特殊部隊に配属になって間もない頃、手塚とサシで基地近くの喫茶店に行ったんだった。そのときの大変間抜けな会話を思い出して郁は軽く眉をひそめる。でもまあ、あれは、どう考えてもそういうアレじゃないからノーカウントだ。ということにする。
 それから、そうだ、もう一度あったじゃん。男性とサシで喫茶店。──まさに堂上教官その人と。
 それだって配属間も無い頃で、中学生二人を連れて「考える会」に謝罪に行った帰りだ。子供二人を先に帰した後で、大人二人で反省会みたいな延長戦みたいな。どっと疲れてため息をついたのを覚えている。あのときは仕事中でもあったから、というのもあったけれど、それにしたって今では考えられないくらいに、堂上と二人きりだからと言ってそれを別段気にすることもなく、普通に喋ってた……どころか、そうだあたし、確か堂上教官に王子様のことをけちょんけちょんに言われてカッとなって、それでとにかく言い返してやりたくて、
 ──あたし、あのときの図書隊員が堂上教官だったら、図書隊に入りたいなんて思いませんでした!
 ……ああ、神様。今ならわかるんです。
 郁は無宗教のくせにどこの誰ともわからない神様に言い訳する。
 神様、もしもタイムマシンがあるなら、あんなこと言ったバカなあたしをグーで吹っ飛ばしてやりたいです。それから、今はもう違うんです、ってあのときの教官に言いたいです。あたしは、やっぱり、あなたを追いかけてきたので間違ってなくて、今もずっと追いかけてるんです、って言いたいです。
 堂上が王子様だったという事実は、本人が否定し切り捨てたところでなくなる訳がない。王子様その人が、あれから何年もかけて、今の堂上になった。そのことを今の郁は知っている。そりゃあ、知った時には挙動不審に陥るほど戸惑ったけれど、落ち着いて考え直してみれば、あのときの王子様と今の堂上の背中は完全に重なって、そのことに気付かなかったことこそおかしかったのだとさえ思う。
 いやもちろん、あたしが王子様のこと知ってるなんて絶対に言わないけども!
 郁の入隊から今に至るまで、堂上は自分があのときの三正なのだと明かしたことはない。それはつまり、理由はどうあれそのことを郁に知られたくないからだということくらい、鈍い郁でもさすがにわかる。だから郁の口からは「あの頃も今もあなたを追いかけています」と言うことはできない。だけどせめて、今の郁が、今の堂上の背中を追いかけている、そのことだけは伝わっていてほしい、信じてほしいと思う。思うのだが、
「なんせ最初が素行不良過ぎたしなあ……」
 入隊当時の子供じみた罵詈雑言や、挙句のドロップキックなど、抹消したい過去は腐る程山盛りだ。堂上が過去のことをいつまでも根に持つような質ではないとわかってはいるけれど、それでも、堂上の過去同様に絶対になかったことにはできない以上、禍根としてか笑い話か、どちらに転ぶかはわからないがいずれにしても絶対に死ぬまで残る訳で、
「あー、あたしってホントに大バカ」
「何を今更」
 言っても詮無いボヤキをこぼした郁に、柴崎の容赦のないツッコミが入る。それと同時に目の前に冷たい麦茶のグラスがどんと置かれた。
 夕食も風呂も終えて一息ついたところでスケジュール帳を開いていた郁は、ローテーブルにぺたりと頬をつけたままギロリと柴崎を見上げ、文句の一つも言い返そうとしたけれど、柴崎相手にどう考えても勝てるはずがないので「ありがと」とお茶のお礼だけを言うに留めた。そうして唇を尖らせた郁を無視して、柴崎は開きっぱなしのスケジュール帳を覗きこんだ。
「なによ、まだ夏休み決めてなかったの?」
 自分も冷えた麦茶を飲みながら、柴崎はいまだ業務関連の予定しか書き込まれていない郁のスケジュール帳のページを勝手にめくる。別に見られて困るようなことは書いていないので、郁も気にせずむくりと起き上がり麦茶に口をつけた。まだ風呂上がりの熱が引き切ってない体に冷たさが心地よく染み通って行く。
「うん。マトモに夏休み取るの初めてだから、なんか、どうしたらいいか戸惑っちゃって」
 そう、柴崎にだけは本音を告げれば、柴崎は「ああ、そうね」と軽く流す。それが彼女の優しさで、郁もそれがわかっているから素直に本当の気持ちをぽろりとこぼすことができる。
「で、昼にそんな話をしてたら、業務部の子達に、九月に合わせて休み取って旅行でも行こうよって誘われて。一応、隊で確認してからねって言ったんだけど」
「ああ、いいんじゃない? 行ってらっしゃいよ」
「柴崎は?」
 昼休みの同期との会話の後、すぐに堂上に相談しなかったのは、柴崎の予定も聞いてからにしようと思ったからである。しかし柴崎は郁の問いに首を軽く振った。
「あたしは今年の夏休みは帰省で終わりだもの」
 そういえばいつもは年末年始に帰省する柴崎が、今年は法事で珍しく夏にも帰省すると言っていたことを思い出して「あ、そうだったね」と郁も頷く。
「じゃあ、明日の休憩にでも堂上教官に聞いてみるかあ」
「あんたさあ」
 スケジュール帳を閉じてしまおうとした郁に柴崎のため息がかかる。
「なによ?」
「夏休みもいいけど、堂上教官とお茶ってどうなってんのよ」
「どっどうって!?」
 閉じたスケジュール帳をお手玉した郁の声もひっくり返る。そんな郁の動揺っぷりなど目に入らぬように柴崎の呆れたような声が続く。
「堂上教官をカモミールのお茶が飲める店に案内することになった、って、春の試験の後の話でしょ。あれから何ヶ月たってると思ってるのよ。あたしがわざわざ何軒も店探しに付き合ってやったのに、無駄にする気?」
「いっいやっ無駄にする気はないよもちろん!」
 郁は麦茶のおかげでせっかく程よく冷えた頬を再び熱くしてぶんぶんと手を振った。
 春の昇任試験の後に堂上と交わした会話、あれは「約束」だったのかどうなのか。いや待て落ち着け、冷静に考えろ、あれは上官のご希望に沿ってご案内する役を仰せつかっただけのことだ。だから指示は速やかに決行せねば……とはいえ、どうせ案内するならより美味しくてより寛げる素敵なお店がいいし、でも基地に近い店だと、もしも他の隊員に二人でいるところを見つかって、絶対に、そう絶対に「そういう話」ではあり得ないのに、いらん噂になったりしたら堂上に迷惑がかかるし、かと言ってあんまり遠い店ではせっかくの貴重な公休日にお茶を飲むだけのために余計な時間を遣わせ過ぎてしまうし、ああだから休日に二人で約束してお茶を飲みに行くなんてまるでデートみたいだけどでもそうじゃないから! 勘違いも甚だしいぞ自分!
 ……などと、雑誌やネットで店を探して七転八倒していたら見事に柴崎に不審がられ、そして事情を白状させられたのだった。
 とは言えその上で(もちろん半分以上は面白がってのことだけれど)柴崎の方からいい店を見つけては教えてくれたり、実際にいくつかの店に一緒に行って吟味してくれたりしたのだから、そんなに恩着せがましく言われるのもどうなんだ、という気もしないでもない。……なんて、やっぱり言い返すことはできないけれど。
 郁だって当初は、なるべく早くお店を決めて堂上を案内するつもりでいた。そのために柴崎の世話にもなったし、おかげで各種条件を満たしたよいお店を見つけることもできた。
 だが、あの「約束」から時間が経つに連れ、あれは本当に「約束」だったのか、どんどん自信がなくなってきたのだ。まさか堂上に限って口から出まかせではなかったにしても、まあいつか何かの機会があれば、程度の軽い気持ちで言っただけだったものを、郁だけがやけに張り切ってお店を探し回っていたのだとしたら──郁ばかりが舞い上がっているのだとしたら、それは、痛い。実際、あのとき以来、堂上の方からもお茶に関して催促されるようなことは一度もないのだ。もしかしたら、そんなことを言ったことすら既に忘れてしまっているかもしれない。
 そう思ってしまったら、もう郁の方から「お茶のお店が見つかりました」だなんて言い出せなくなってしまったのだ。
 かと言って、せっかくお店探しに付き合ってくれた柴崎にそんなことを言うのもまた申し訳なく、これまでにも何度か柴崎に問い詰められた折には毎度「公休日の都合をつい聞きそびれちゃって」などと微妙な言い訳でなんとか逃げてきたのだが、
「そもそも、せっかく同班で公休日が同じなんだから、そこでとっとと行ってくりゃいいのに、夏休みなんかを堂上教官と合わせて取る方がよっぽど面倒で厄介でしょうが。あんた、教官に『同じ日に休み取りましょう』なんて言えるの? ああ、もちろん、言えるってんなら構わないけど」
「や、そ、それは無理……」
 ただでさえ、あれから何か月もたった今更お茶のことを言い出して堂上にぽかんとした顔をされる想像をしてしまって、どうにも勇気が出ないのだ。もしこのまま堂上が本当に忘れてしまっているのなら、もうそれはそれでその方が気が楽だとすら思ってしまう程に。
 そりゃ、もちろん、本当にあれが「約束」で、今でも有効なのだったら、いいな、とは、思うけれども。
「あ、明日。夏休みの相談するから、そのときに、聞けたら聞く……」
 聞ける自信なんか全然ないけどね! と思いながらごにょごにょ言って真っ赤な顔でローテーブルに突っ伏する郁を見ながら、
「全く、この子はともかく、堂上教官も堂上教官ね。ようやくアクション起こしたのかと思ったらここまでフォローなしだなんて、弱気はどっちもどっちだわ」
 などと内心ため息をついていたことなど、当然郁には知る由もなかった。


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