きみを信じてる 1・・・・・from「待つ人。」 |
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「まさか、あんたまで行っちゃうなんて思わなかったわ」 図書特殊部隊庁舎の一階隅に設けられた小さな休憩スペースは、まだ早番の隊員が出勤するにも早い時間だからか妙にがらんとしている。ドリンクの自動販売機が数台並んだその一角の壁に沿って据えられたベンチに腰掛けて、柴崎は手にした携帯電話の表面を親指でなぞった。いつもならその動作でメニュー画面が切り替わるが、いま手にしている機械の表面はタッチパネルではなく、ただの外装であるシルバーだ。だからそれを撫でたところで何も起こるはずがない。それなのにそんな動作をしてしまうのは、今手にしている携帯が実は彼女の物ではないからだ。 その携帯の本来の持ち主にぶつけるべき言葉を、柴崎はその物言わぬ機械にぶつけていた。 ……だって、しょうがないじゃない。いないんだもの。 そもそも、今ここにいないからこそ生まれた文句なのだから、柴崎の言い分は正しい。だが、それが本当に「文句」……つまりは不満、であると認める訳にもいかなかったから、本来ぶつけるべき相手がここにいないのは柴崎にとって幸いだったかもしれない。 本当に本人を目の前にしたら、絶対にそんなことは言わない。 手の中で、朝も早くから上昇する気温のおかげで常より幾分高いであろう体温を吸収してじんわりと温まる機械を見下ろし、柴崎は「ふ、」と小さなため息をついた。 時刻は午前七時を少し廻ったところ。 関西図書隊への緊急の出張手続きを奇跡的なスピードででっちあげ──もとい、正式なものとして完了させて(手続きルートは若干、いやかなりイレギュラーだったが、業務部始業前だからやむなし、ということで押し通した。無理無茶無謀が身上の特殊部隊ではよくあることだ)、嵐のような慌ただしさとともに隊長の玄田以下数名の特殊部隊員が庁舎を飛び出していったのを見送ったばかりであった。 当麻と、彼を護衛する堂上と郁の足どりが掴めなくなって何時間過ぎた頃だろうか。 堂上ひとりが逃避行の末に被弾して病院に担ぎ込まれたと連絡してきたのは、新宿の大型書店の店員だった。 堂上の知己(と言うには大分いわくつきだが)である彼女を頼って書店にひとまず逃げ込んだ三人のうち、郁と当麻が車で大阪を目指して出発した、との情報は、その店員本人から得られた。堂上の手術に付き添っていた彼女から、その病院へ駆け付けた小牧と手塚が聞き出したのだ。 都内での大使館駆け込みに失敗した彼らが次善の策をとって大阪に向かっているであろうことは図書隊側でも予測していたが、あくまで予測である以上は援護したくとも動きようがなく、玄田をはじめとした特殊部隊を苛立たせていた。それがやっと確定情報となったものの、大阪に着いてから彼らは一体どう動くつもりなのか。やはりそこまで情報がないと関西図書隊に援護を頼むにしても「大阪に向かっているので、確認できたら援護を頼む」というなんとも中途半端な依頼しかできない。結局どうにも動きようのない状況であることには変わらず、苛立ちは余計に増すばかりだった。 そんな中、郁から下手な子供の作文のような暗号電報が届いたのはつい先程、六時前のことである。早朝の電報を不審に思った寮監が柴崎に連絡してくれたのだ。まさか、と柴崎にできる限りのダッシュで寮に戻り、見覚えのない差出人のそれを受け取ると、すぐにとって返して特殊部隊事務室に駆け込んだ。 差出人は郁でしかありえない。なんのひねりもない偽名に柴崎は苦笑する。あんた、もうちょっと工夫しなさいよ。これじゃあからさまに偽名じゃないの。 その電報により判明したのは、郁が当麻を連れて大阪のイギリス、もしくはアメリカいずれかの総領事館駆け込みを狙っているということと、その具体的なプランだった。 そうとわかれば特殊部隊の……いや、玄田の動きは早かった。それはまるで頑丈な蓋に封じられていたびっくり箱の中身が弾けて飛び出したようだ、と柴崎がこっそり噴き出した程だ。 玄田はまず郁が知らせてきたイギリス、アメリカの他、フェイクのためにそれ以外にも亡命申請を内諾していた各国の在大阪総領事館に自ら電話をかけた。そして各総領事館にしれっとこう言ってのけた。 「ここだけの話だが、我々関東図書隊が図書館の自由法に基づき保護している当麻蔵人氏は、最高裁を出た後、現在行方不明である。最後に我々がコンタクトした際、近々そちらを訪ねる予定だと言っておられたので、もしお見えになったら是非とも関東図書隊にご一報いただきたい」 まさか外部に対して現状を包み隠さず言い放つとは思っていなかった柴崎は一瞬ぎょっとしたが、すぐにポイントを押さえた玄田の言葉の真意を理解した。 まず第一に、メディア良化委員会が当麻の身柄を確保するのを司法が認めた以前から、図書隊が当麻を保護することにも根拠法が適用されていることの明確化。 外交の最前線である大使館ならびに総領事館にとって、法的根拠の有無は大問題だ。接触してきた組織が非合法な団体、主張であるならむしろ話は簡単だ。知ったことかと無視するか、場合によっては通報してしまえばよい。しかし、メディア良化委員会と図書隊、その目的は真っ向対立する組織にも関わらず、双方に法の後ろ盾がある。そしてどちらも正式な法である以上、優先順位などない。そもそも法に関してそんな曖昧な状況なのがおかしいのだが、それは今問うても仕方ない。いま大事なのは根拠の有無、それだけだ。それさえあれば大使館も総領事館もいくらでも言い訳がたつ。 そして、玄田はあくまでも「当麻が総領事館を訪ねる」とだけ伝えた。「訪ねる」をどう解釈するは、総領事館の判断だ。 もちろん、総領事館側にすべての責任を押し付けるのが玄田の本意ではない。だから亡命希望については一言も触れていないし、ましてや、積極的に保護してくれと依頼した訳でもない。 つまり良化委員会が各総領事館の電話を盗聴したとしても(と言うよりむしろ、確実に盗聴されていると考えた方がいい)、少なくともこのやりとりから亡命の援助依頼とその受諾について言質を取られることはない。総領事館に与えるリスクは最低限だ。 本音を言えば、総領事館側が真意を汲み取って何らかのアクションを起こしてくれることを期待してのことではあるのも確かだが、伝えた字面通りに無事たどり着いたら一報してくれるだけでも御の字だ。なにせ相手もそれぞれの国の立場と事情を背負っているのだ、おいそれとは動けまい。 ……で、結局、玄田としてはやっぱりそこがお気に召さなかったらしい。 通話を終えた途端、残りの堂上班二名をはじめとした、ちょうどそのとき特殊部隊事務室に詰めていた部下たちを連れて大阪へ行くと言い出したのだ。 事態の肝心なところを自分でコントロールできないことに納得できなかったのか、あるいは別の理由があるのか。さすがの柴崎もすべてを推し量ることはできないが、とにもかくにも直ちに出動準備がなされ──と言っても「装備なんざ関西図書隊に借りりゃいい! どうせ新幹線でとんぼ返りだ、手ぶらで構わん!」との一声により、たまたま事務室にいた隊員が取るものも取りあえず立ち上がり、「バス? そんなもんいらん。東京駅まで一番早く着くのは中央線だ!」とこれまた鶴……いや、熊? の一声で武蔵境駅まで向かっていったのだった。 車だろうが電車だろうが、良化隊の監視をかすめて密かに出動することはどうせ不可能だし、それにあちらだって主戦場が大阪に移ったことはおそらくこちらと同様に把握しているはずだ。 であるならば、正面突破で最短最速ルートを取った玄田の指示は無茶と思わせてやはり適切だったと言えるだろう。 ……とは言うものの。 柴崎は思わず小さく噴き出した。 そろそろ朝の通勤ラッシュが始まっているであろう電車の中でカーキ色に身を包んだいかつい男達の集団は、今頃さぞ異彩を放っているに違いない。 想像したその絵面はかなりシュールで、相変わらずしんと静かな休憩スペースの片隅に柴崎のくすくす笑いはしばらく続いていた。 |
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