きみを信じてる 2

・・・・・from「待つ人。」

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 そもそも、なぜ柴崎がこんなところに一人いるかと言えば、それは緒形ののんびりとした一言によった。
「柴崎、いろいろご苦労だった。もう戻って休んでいいぞ」
 まるでドタバタ劇の幕が呆気なく降りたように一気に静かに、そしてがらんとした特殊部隊事務室に残されたのは、留守番役を仰せつかった副隊長の緒形と、すっかり特殊部隊の事務方兼情報収集担当となった柴崎の二人だけだった。
「俺がここで留守番なんてな」などと苦笑した緒形がその次に言ったのが、昨日から特殊部隊に張り付いていた柴崎への労いの言葉だった。その気遣いに柴崎は小さく微笑んで返した。
 ここでできることはすべてやった。
 おかげで郁と当麻の動向は予測がついた。
 それを受けて、玄田たちも支援のため(というより、単にいても立ってもいられないだけかもしれないが)出動していった。
 もう、ここでできることは何もない。
 柴崎にもそれはわかっていた。それでも何かできることがあるとすれば、
「あとは、祈れ」
 緒形がのんびりと、しかしその奥に強い力を籠めて言った通り、大阪へ向かった人々の任務の完遂と、全員の無事の帰還を祈るだけだ。
 ──お願い。
 どうか、どうか。
 為すべきことを果たし、そして、無事で。
 その祈りだけを抱き締めて、柴崎は特殊部隊事務室を出た。
 しかし、その足が寮へ向かう通路を辿ることはなかった。
 特殊部隊庁舎を出るエントランスとは逆、建物の隅に設けられた休憩スペースへ向かった柴崎は、自販機に囲まれたスツールに腰を下ろすと「ふ、」と息をついた。
 ──部屋に帰りたくない。
 柄にもなくそんなセンチメンタルなことを思ってしまった理由なんて、悔しいくらいわかっている。だから、もう一つため息をつく代わりに、ポケットから携帯電話を取り出した。
 自分のスマートフォンではないけれど、ここしばらくの間にすっかり手に馴染んだメタリックの携帯電話。これの本当の持ち主は、今頃東京駅を目指して中央線に揺られている。
 ──でも、あたしは、行けない。
 そんなの当たり前だ。それはあたしの役割じゃない。それに、あたしのやるべきこと、できることは全て果たしたのだ。
 あとは祈って──そして、待つしかない。
 今の自分にできるのはそれしかないのだとわかっているのに、なぜこんなに苦しいのだろう……悔しいのだろう。
 しかし、その問いの答えすら、柴崎にはわかっていた。
 部屋に帰りたくないのは、帰ってしまったら、いや、この建物を出てしまったら、自分はあっという間に日常生活に戻ってしまい、この事件から切り離されてしまう気がするからだ。
 お前の役目は終わった、だから、もう、お前の居場所などここにはないのだ、と。
 この戦いは、本当はまだ終わってなどいないのに──まだまだ続いているのに。むしろこれから数時間こそが一番大事なときなのに。
 柴崎にとって、誰よりも大事な親友が、たった一人、戦い続けているのに。
 そんなときに何もできない自分、一緒に戦えない自分がひどく悔しくて、腹立たしい。
 そして、そんなことを考えてしまう自分自身に苛立つのだ。だって柴崎が悔しがる必要どころか、そんな権利さえないのに。
 だのに口をついて出たのは、この場に留まるしかない自分と違って、まさに最前線へ赴くために足早に出発して行った人間への不平だなんて、とんだ八つ当たりもいいところだ。それで柴崎は再びため息をつく羽目になった。そのため息を振り払うように、柴崎はふるふると頭を軽く振ると、休憩スペースの突き当りに設けられた窓を見遣った。昨日の嵐が嘘のような雲一つない真っ青な空が、本格的な夏の到来を告げている。
 この事件の始まりは、まだ真冬と言ってもいい季節だったのに。
 寒い朝、こたつにもぐってテレビニュースに噛り付いていたあの日のことを思い出す。つい半年前。だけど、遥か遠い日のようにも感じる。
 あの日からずっと、柴崎は柴崎のやり方で、自分に求められた役割を全力で全うしてきた自負がある。それに、今まさに大阪にいる郁や、それを追いかけて行った玄田たち特殊部隊の面々が動けているのは、柴崎たち後衛を務める者たちの働きがあってこそだ、ということも、誰に言われなくたってわかっている。そう、自分がこの局面において全くの役立たずであった訳ではないことくらいちゃんと知っているのだ。戦いとは、何も直接前線に出るものだけではないのだから。
 それなのにこみ上げるこの悔しさはなんなのだろう。
 なぜ自分は最後まで一緒に戦えないのだろう。
 なぜ自分は待つことしかできないのだろう。
 戦闘の最前線に行ってもできることなどないどころか、かえって足手纏いにしかならないこともわかっているのに、
 ──あたしも、行きたかった。
 そんなの、所詮、子供じみた我儘だ。
 しかし、そんな我儘を抑えられず、挙句こうしてもてあましている自分がいる。
 自分の感情をコントロールできないことは柴崎にとって珍しいことで、だから苛立ちの上に困惑も上乗せされて、柴崎の心はなおさら落ち着かない。
 かつてこんなに自分の心に振り回されたことなど──ああ、あった。柴崎は思い出す。
 待つ、ということがこれほど狂おしいことだと思い知ったのは、実は割と最近のことだ。
 去年の秋、茨城県展警備。
 茨城の図書館界の歪みも、その原因となった「無抵抗者の会」の存在も、そしてそれを知りながらあえて沈黙していた手塚慧の策略までもすべて知っていた上で、特殊部隊を……郁を、それから堂上や小牧、手塚といった、柴崎にとってよく知った、大事な人々を送り出した。
 あのときだって、柴崎は自分の力を尽くし、それでも手の届かないことがあることを嫌というほど思い知らされたし、己の無力さに打ちのめされた。ただ、無事の帰還を祈り、待つしかなかったのだ。そう、今と同じく。
 そして、その悔しさを、隠し通すことができなかった。
 よりによって、手塚の前で。
 後から思い返せば、あれはお互いに己の無力さに対する苛立ちを八つ当たりのようにぶつけ合っただけだった。郁に「喧嘩したってホントみたいね」と言われて、ああ、あれはそういうことだったのかとようやく気付いたけれど。
 まさか、自分が他人に対してそんな不毛なことをする日が来るとは夢にも思っていなかった。
 本気でまっすぐにぶつけてこられて、こちらも本気でぶつけ返さずにいられなかったのだ。それだけ気持ちが追い詰められていたのだ、と今ならわかる。
 そして謝り方が実は本気で思いつかなくて、しれっと郁に尋ねてみたら即座に適切な答えが返ってきて、ああ、この子らしい、と思ったものだ。
 郁はいつだって本気で人と対するから、喧嘩になることもある。だけどそれは本気で心を交わし合おうとしているからこそのことだから、どうやって謝ればいいのかもちゃんとわかっている。
 それは裏返せば、柴崎がいかに人とうわべでしか付き合ってこなかったか、ということでもある。──だけど。
 あたしは人を信じない。だから、郁のように、自分をまるごと投げ出したりしない。
 それがあたしのやり方だ。
 だから、今はまだ気持ちが昂って無意味な我儘を抑えられずにいるけれど、幸か不幸か、今の自分には時間がある。だから今のうちに心を落ち着けて、感情を理性でコントロールして、早く平常運転に──
 そう思いながら目を閉じて大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出し、そして瞼を開けたそのときに、手の中の機械が突然振動し出した。携帯電話がメールの着信を告げているのだ。
 一体こんなときに誰が。そう思いながら見下ろしたその携帯の液晶画面に「柴崎」の文字。
 それはつまり、
「差出人:柴崎
 件名:
 本文:今電話しても平気か?」
 柴崎本人はここにいるし、今柴崎が手にしているこの携帯で、差出人の欄がこの名前になるようなメールを送れる人間は一人しかいない。
 手塚だ。


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