眼鏡・・・・・from「林檎と眼鏡」……love.love.library & 止 2015カレンダーおまけ本 |
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ねえねえ、篤さん、これ。 夕食後、コーヒーと読みかけの小説を持った堂上がソファに腰を下ろしたところで、郁が何かを手に声をかけてきた。その「何か」に、堂上は確かに見覚えがあった。 ──随分懐かしいものを出して来たもんだ。 驚きと、それから、当時を思い出した面映さで、堂上の顔は微妙に歪む。別に不快な訳ではなく、ただひたすらに照れくさくて暴れだしたい気持ちを抑えているだけである。 郁の手の中にはライムグリーンの眼鏡ケース。その中に収められたカーキのセルフレームの伊達眼鏡に合わせて、堂上がこっそり買っておいて郁にやったものだ。実は初めて堂上から郁に贈った記念すべき一品でもある。とは言え、その渡し方は初めてのプレゼントにあるまじき無造作っぷりだったが。 本当ならその中身まですべてまとめて買ってやりたかったのに、「ちゃんと欲しくなったので自分で買います」と至極真っ当かつかわいらしいことを言われて、それでもなお押し切って贈れるポジションにそのときの自分はまだ立っていなかった。だのに本人に断りもなくせめてケースを買って有無を言わさず押し付けて、受け取った当時の郁は堂上の本意も知らずにさぞ困惑したことだろう。それに、 ──俺もかわいいもんだった。 しかしもっと若い時分ならともかく当時ちょうど三十路を迎えた直後だったことを思えば、これはもう恥ずかしくていたたまれなくなっても仕方がないというものである。 そんな堂上の脳内七転八倒など知るはずもなく、堂上の隣に腰を下ろした郁がやけに楽しげにそのケースを開けた。懐かしいその眼鏡は、結婚前こそデートの際に時折かけていたが、最近の外出はどうしても食料品などの買い物がメインになっていわゆる「デート」ではないためか、めっきり見なくなっていた。久しぶりに遠出でもしてみるか、などと思っている堂上の前で眼鏡を取り出した郁が、その蔓を開くとなぜかその開いた側を堂上の顔に向けてきた。 「ねえねえかけてみて!」 予想外の展開に堂上は目を丸くした。 「なんでまた」 妻の予想外の言動には素直にその理由を問うに限る、と堂上は把握している。すると郁が「篤さんも見たでしょ」と目をぱちくりさせながら言った。 「今日、副隊長が眼鏡かけてるの初めて見たから」 言われて、ああ、と堂上も思い出した。副隊長の緒形が珍しく事務室で眼鏡をかけていたのだ。 「寮ではたまに眼鏡でいるところを見てたからなあ」 勤務中はコンタクトレンズで、寮でのオフタイムには眼鏡で過ごしている、という隊員は少なくない。特に防衛部員はいつ抗争があるかわからないから、破損や光の反射を気にしなくて済むとコンタクトを愛用するものが多い。緒形もその口だ。 「へーっ、そうなんだ! あたしてっきり、ついに副隊長も老眼鏡デビュー? って思ってた」 「そりゃさすがにまだ早いんじゃないか」 確かに緒形の歳の頃では老眼の症状自体は出始めているのだろうが、実際に老眼鏡が必要になるのはまだ先ではないのだろうか。いや、それはともかく。 「だが、それとこれと一体どうつながるんだ」 早い人だと三十代後半には症状が出始めるという老眼だが、堂上はおかげさまでまだ自覚はない。というかまだまだそんな歳じゃない。それにお前が手にしているのは伊達眼鏡だろうが。 疑問に若干の抗議を込めてみたが、郁は妙ににこやかに手にした眼鏡を押し込んでくる。 「そっかー、いずれは篤さんも眼鏡のお世話になるんだなあ、って思ったら、そういえば篤さんが眼鏡かけたとこって見たことないなあって。どんな感じになるのか見てみたい」 だからねえ、かけてかけて。そう言いながら蔓のフレーム近くの部分を持って蔓の先を堂上の耳の上にかけようとするが、微妙にずれて痛いばかりである。 「わかったから。自分でかける」 無理に押し込もうとする郁の手を押し止め、眼鏡を取り上げる。眼鏡なんてほとんどかけたことがないから勝手がわからないが、とりあえず蔓の根元を両手の指先で持ち直す。少し俯いて蔓の先を耳にかけたところで、これだけ目の前に物体が迫ってくるのもなかなかないので思わず目を閉じてしまったが、そのままもう少しだけ押し込めば意外とすんなりその場に落ち着いた。しかし、やはりかけ慣れていないせいかどうも眉間にむずむずとした違和感があり、眉を寄せつつ眼鏡の鼻のあたりを中指の先で軽く押し上げてみたが、違和感はそう変わらなかった。 それで、まあこんなもんか、と顔を上げて郁の方に向き直れば、なぜか目の前の郁がぽかんとしていた。 「なんだ?」 「あ、あの、いや……ほんとだーって……」 「は?」 堂上の方こそ意味不明でぽかんとした一方で、郁の顔が見る間に赤くなってきた。あげく「はわわ」とよくわからない声をあげた郁に「だから一体なんなんだお前は!」と文句をつければ、さらに意味不明な言葉が返ってきた。 「眼鏡」 「はあ?」 「眼鏡で五割増し、ってホントなんだー、って」 「なんだそりゃ」 「うわーっ! 近い近い! ちょっと待ってーっ!」 「こら郁! いい加減意味がわからん!」 だってだってー、と悲鳴とも抗議ともつかない声を上げながら顔を背けた郁を捕まえて聞いたことには、 ──前に友達がね、眼鏡男子はいいぞ、どんな男も眼鏡かければ五割増しよ! って言ってたのよ。でもそれは、その子がいわゆる『眼鏡萌え』ってやつなんだろうなって思ってたんだけど。 でもね、今日、副隊長が眼鏡かけてるの見たら、初めて見て新鮮だったせいもあるんだろうけど、うわあかっこいい、って思っちゃって……あっもちろん一般的な意味でね! 惚れちゃうとかじゃなくて! でもなんというか、その、五割増しってホントなんだー、って…… 「お前、それ、副隊長にえらい失礼じゃないか?」 まるで眼鏡をかける前は全然魅力がなかったような言い方にも聞こえて堂上が眉をひそめると、郁は手のひらをぶんぶんと振った。 「いやいや! 元がいいからより増すんだってば! 五割増しても変わらない人もいるのよきっと!」 「それもまた失礼な……」 該当する人間を具体的に思いつかないにしても大概な発言にとりあえず突っ込んでから、堂上は眉間の違和感にもう一度眼鏡を指先で押し上げた。 「満足したならはずしていいか。慣れないからむずむずする」 「ああ、はい、ありがとう。……いやあ、眼福ってこういうことを言うのねえ」 「何言ってんだか」 たかが眼鏡をかけただけでそんなに変わるもんか、と堂上は不思議でならない。なぜなら郁がこの眼鏡をかけたところで、新鮮だな、とか、意外と似合うじゃないか、とか思いこそすれ、五割増しとまでは思わなかったからだ。なんだかな、と思いながら再び蔓の根元を指先でつまみ、そうっと引き抜く。目の周りに残っていた違和感を払うために一度強めに目を閉じて、開いてから、蔓をたたんで郁に返した。と、 「……なにか変か」 眼鏡を受け取った郁がやけにまじまじとこちらを見ている。別に、眼鏡をかけてはずしただけで何が変わる訳でもなかろうに、と思いながら堂上も郁の顔を見返してやったのだが、そういやこんなに真っ直ぐお互いの顔を見ることも見られることも久しぶりで、それと気付いたらどうにも気恥ずかしくなってきた。それで照れ隠しもあって少し強めに「だからなんだ」と言えば、目の前の顔が再び紅く染まり始め、やがて、どうしたことか、じわじわにやにやし始めた。 「だから! 一体なんなんだ!」 「いやー! すいませんごめんなさいでもあの!」 きゃーっ、と叫びながら両手で顔を覆ってしまった郁の手を堂上は無理やり下ろして押さえ込んだ。 「暴力反対!」 「暴力言うな! いきなり目の前で笑われて叫ばれるほうの身にもなってみろ!」 堂上からすれば至極当然の苦情を申し立てれば、郁も真っ赤な顔で「ううっ」と唸って口答えできなくなる。そのまましばし睨み合いになったが、やがて郁の方が降参して項垂れた。 「……あのー、これからものすごく失礼でものすごく恥ずかしいことを言いますが」 「お前が失礼で恥ずかしいやつなのは今更だ」 「ちょ、なにそれ! ……まあそれはさておき、ですね」 郁が真っ赤な顔のまま堂上の顔を見て、それから少し横に視線を逸らした。 「あたし、ものすごいぶっちゃけますけど、篤さんの顔なんてたぶんどうでもよかったのね。もちろん好きだけど、でもそれは篤さんを好きだから、好きな人の顔はそりゃ好きだよねって。この顔じゃなかったとしても、篤さんなのだったら、きっと好きになってたもんな、って」 ……これはとんだ爆弾の導火線に火をつけたかもしれない。堂上がそう思ったときにはもう手遅れだった。 「でも、その……あらためてじーっと見たら、あー、あたしやっぱり、この顔が好きかもって思ったというか……うん、やっぱりかっこいいんだ! って、今更動揺したというか照れくさくなったというか。眼鏡なんかなくても充分、」 「あー、あー! わかった、わかったから!」 これ以上言葉を重ねられたらたまらない、と堂上は大声をあげて無理やり郁の言葉を遮った。 自分の容姿の美醜などさほど気にしたことはないが、他人、どころか妻から手放しで褒められては居心地の悪いことこの上ない。いや、嫌われているよりはずっといいのだがそれはそれとして。 「……で、結局、眼鏡かけたら五割増し、ってのは確定なのか」 気まずい話から逃げるには話題を変えるに限る。堂上は無理やりネタをひねり出したが、郁は素直にそれに食いついてきた。 「うん! しかも篤さんは元がいいから割り増し分が大きいので超お得!」 「俺はバーゲン品か」 「逆だってば! だからね、」 「ああもういいから!」 結局気まずい話からは微妙に逃げ切れなかったことを知って堂上は思わずため息をついてしまうが、それでもふと思いついて言ってみた。 「そこまで言うなら、俺も自分用の眼鏡買ってみるか?」 堂上自身はおしゃれのために伊達眼鏡を買うという発想はなかったが、こんなに郁が大騒ぎするほど喜ぶのならたまにはいいか、などと柄にもなく甘いことを考えてしまったのだった。しかし返ってきた答えは意外にもノーだった。 「だって、いずれイヤでもかけるようになるんだろうし、そしたら毎日見られるもの」 「いつの話をしてるんだ! まだまだずっと先だろうが!」 「だから、何十年後かの楽しみにとっておくね」 それまでにあたしも、毎日五割増しでも大丈夫なように心の準備しておかなきゃ。そう言ってころころと笑う郁を、堂上は「なに馬鹿なこと言ってんだ」と胸元に抱え込んだ。「いたたた、何すんのよ!」と堂上からは見えない顔から文句を言いつつも、その声音は笑みを帯びたまま、体の重みを自然に堂上に委ねているのがわかる。 いつか老眼鏡のお世話になるようになるのは早くても十年あまり後のことだろう。毎日手放せなくなるのはたぶんそれよりももっと先、これから何十年後のこと。 そのときも一緒にいる、という前提を当たり前のように告げてくれることが、もう結婚して数年たつというのに、今更、胸に響いた。 ──まあ、俺が手放さないけどな。 「そのときはあたしが眼鏡買ってあげますね。ケースもつけて!」 胸元で、今は体の向きをひねって堂上の方に顔を向けて半ば膝枕のような姿勢でよりかかっている郁が、いたずらっ子のような目で堂上を見上げて言った。その言葉に思わず堂上の眉が寄る。 「お前はケースしか買わせてくれなかったくせに」 今だからこそ言える愚痴を素直にこぼせば、「だって、」と言い訳が返ってきた。 「そのときはそういうんじゃなかったじゃない。ケースだけで十分びっくりしたんだから! それに、」 それに? 後に続く言葉を堂上は待った。そして、自分がまた余計な導火線に火をつけたことを知った。 「堂上教官があたしに似合う眼鏡を選んでくれた、ってだけで、もう本当に十分ごほうびだったんだから。だって、それって……見てないようで、ちゃんと見ててくれたってことでしょう?」 せっかく花開いた笑顔を再び胸元にぎゅっと抱きしめたのは当時を思い出して恥ずかしさで死にそうだったからだなんて、絶対に言ってやるものか。 |
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fin.
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