driving in the morning

・・・・・from「燃えて青春駆け抜けろ!」

 見上げれば、抜けるような青空。
 郁は日焼けの心配もものともせず、「んー、きっもちいい!」と朝からかんかんに照り付ける太陽を見上げ大きく伸びをした。だってぴかぴかの日差しがこんなに気持ちいい。
 あー、このままどっかに遊びに行きたい! そして思いっきり走りたい!
 ……と思ってしまったのはホントだが、もちろんそんなことができる訳はなく、それ以上にする気もない。両の手のひらで自分の頬をぱちんとはたくと「よしっ行くか!」と気合いを入れて、寮の玄関先から晴れ空の下へ一歩を踏み出した。

 梅雨の合間の晴天は今日で三日目。しかし明日からはまた梅雨空に逆戻りらしい。
「お洗濯日和は残念ながら今日で終わり。夕方から徐々にお天気は下り坂となりますので洗濯物は早めに取り込んで……」
 そんな予報を軽やかに告げたのはカーステレオから流れるFMラジオだ。毎正時の直前に定期的に入る交通情報とヘッドラインニュースに続いて読み上げられた天気予報に、郁が「あーあ、また雨かあ」と不満げな声をあげた。それは誰に当てるともない独り言だったが、郁の隣でハンドルを握る堂上が
「天気がどうであれ、どうせ洗濯物は乾燥機送りなんだ、関係ないだろう」
 と少し呆れたような声で反応した。それに対して郁は「そーいう問題じゃないんですっ」と唇を尖らせた。
「そりゃ、今はどんなに晴れたって外干しできないのはわかってますけど、なんていうか、ほら、やっぱり晴れてないと気分も盛り上がらないというか」
「お前が下手に盛り上がるとろくなことにならん。曇り空くらいでちょうどいい」
「どーいう意味ですかっ!」
「そういう意味だ」
 わからんなら一から説明してやろうか? と前方を向いたまま言われて、郁は「結構ですっ」と頬をふくらませた。……が、堂上が運転中でよそ見できないのをいいことに、こっそりその横顔をのぞき見る。
 まじまじ見る訳にはいかないから横目でちらりとのぞいたその顔は、こころなしか普段の業務中よりやわらかく、かすかに微笑んでさえ見えて、郁は内心「ほら! やっぱり堂上教官だって天気がいいといつもより機嫌よさげじゃん!」と――いや、違う。ん? いやいや? やっぱり違わない。そう思ったのも決して間違いではないのだが、そんなことより、
 ――待て待て! 今は仕事中だっ! ときめいてる場合じゃないだろあたしーっ!
 と、自分の心臓が跳ねたのを抑えるのに必死だった。
 ただいま、朝九時を少し過ぎたところ。
 作家・当麻蔵人を匿う稲嶺顧問の自宅へ堂上・郁組で向かう車の中である。

 良化特務機関の裏をかいて当麻を稲嶺邸で匿い始めてしばらくたつ。いつの間にか季節は春を過ぎ梅雨を迎えていた。
 この家の警護は当初より堂上班に一任されており、そのまま現在に至る。堂上・郁組と小牧・手塚組に分かれて一日交代のローテーションで警護にあたるのだが、カモフラージュのために警護担当の交代とは関係ない稲嶺の朝の送迎まで受け持つ関係で、担当でない日でもまる一日基地内に留まることはない。そうでなくとも基地にいる間は通常勤務があるのだ。堂上が「どうせ洗濯物は乾燥機送り」と言うのはそのためで、たとえ早起きして洗濯して干したとしても夕方までに取り込む暇がない以上、乾燥機に放り込むか部屋干しするしかないのだ。
 ただでさえ雨がちなこの時期でもあるので確かに乾燥機は助かるけれども、できれば洗濯物は天日干ししたい派の郁としてはやはりこれだけ晴れた日を逃すのは惜しくてならないのだった。
 ──いやだから、洗濯物はどうでもよくて!
 郁はラジオに耳を傾けている振りをして口をつぐむ。九時を過ぎて新しい番組に切り替わったラジオは朝らしいさわやかな音楽を車内に送り出している。

 稲嶺邸と図書基地間の移動は車で一時間弱かかる。
 良化特務機関の稲嶺に対する警戒レベルは低いようだとはいえ、万が一良化特務機関と鉢合わせる……最悪の場合、襲撃される可能性を考えるとできる限り迂回ルートを選んで進みたいところなのだが、日野と武蔵境の間には多摩川が横たわっており、この川を渡るための橋の数が多くないことから取れるルートもまた限られてくる。
 ゆえに、もしものときに迅速に次の手が打てるよう周辺道路の混雑ならびに事故などの道路情報を逐一チェックしておくことが常にも増して重要となる。カーナビに自動的に最新の情報が表示されるのと合わせ、定期的に最新の道路情報を提供するラジオを常時オンにしているのはそのためだ。ラジオなら重大な事故や、道路情報とは関係なくともなにか大きな事件や災害が発生した場合には速報が流れるという利点もある。
 ラジオを聴くとすれば家の中でしかなかった郁にとって、番組の合間にたびたび挟まれる道路情報は不要なもので、ともすれば番組の流れを断ち切る邪魔なものでしかなかったが、
 ──ラジオの中の人、感謝します!
 今このとき、郁は道路情報の存在に全力で感謝していた。なぜか、といえば。
 稲嶺司令……でなく、顧問、が後部座席に乗っている間はいいのだ。送迎役と稲嶺との間でお互いに現状についてのやり取りや稲嶺邸でのちょっとしたできごとについてのおしゃべりなど、それなりに会話がはずむ。それに稲嶺は人の話を促すのがとてもうまく、何か言いかけたところで絶妙に相槌をはさんで会話を楽しく続けさせてくれるのだ。ああ、あたしおしゃべりだけどこういうの苦手! とそのたび郁は感心するのだが、問題は稲嶺が乗っていないときだ。
 朝、稲嶺を迎えに行くときと、夜、稲嶺邸から基地に戻るとき。
 ──どうしよう、何話せばいいの!?
 車の中、という小さな空間の中に堂上と二人きり。
 それを自覚した途端に、どうしていいかわからなくなってしまったのだ。
 ええと、いつも何話してたっけ? いや、無理してしゃべりまくるのもおかしいんだけど、でも黙ってても沈黙がつらい。ど、どうしたら?
 しかしそんな心配は杞憂だった。なぜなら車内には絶えずラジオから音楽なりおしゃべりなりが流れてきていたから。それを聞いていることにすれば、沈黙の気まずさからは逃れることができて、郁は心底ラジオの存在に感謝したのだ。
 とはいえ入隊から今まで三年あまり、教育期間から引き続き配属された特殊部隊でも直属の上官である堂上と二人きりになる機会などこれまでも数えきれないくらいあった。二人きり、と言うと色っぽく聞こえるが、要はこの二人の組み合わせでバディを組んで警邏にあたったり、抗争に臨んだり、つまりは仕事の必要で二人一組になることが多いということだ。さらに言えば堂上と同じだけの頻度で小牧や手塚ともバディを組むのだから、別にそれが特別なことという訳ではないし、それを意識したこともない。
 が。
 いや、あの、今これも仕事なんだけどねっ。
 なんていうの、こう、あの……
 い、移動だけだから、仕事感が薄いというかっ! ほ、ほら、あたしが運転してる訳じゃないから余計に!
 あーもーバカバカあたし、ダメでしょ違うでしょ今は仕事中なんだってばー!!
 思考が変な方向に大回転したせいか熱があがったような気がして思わず手のひらで軽く顔を仰いだ郁に、堂上が「ああ、窓開けていいぞ」と相変わらず前方を見据えたまま声をかけてきたので、郁はありがたく「はい」と返して窓を少しだけ開けた。
 ローテーション勤務なのですっかり曜日感覚がなくなっているが、そういえば今日は土曜日で、しかも梅雨の合間のこの晴れ間だからか、行楽に向かう車が多いのか橋を渡る手前の幹線道路は渋滞が始まっていた。郁たちの車の周りも同じ方向へ進む車の密度が徐々に上がってきている。
 ちなみに本来ならば稲嶺も週末は休日なのだが、当麻警護の都合上、図書隊内部に対しても「現在は緊急時なので稲嶺もできる限り毎日基地に出勤するようにしている」という建前を広めてある。
 実は少々閉所恐怖症ぎみの郁は、車内の閉鎖状態についてはさほど気にならないが、渋滞などで周りを囲まれると少し息苦しくなる。それで気候のいい季節なのをいいことに「風を入れましょう」と少しだけ窓を開けてしのぐことが以前にも何度かあったのだが、どうやら堂上はそれを覚えていたらしい。閉所恐怖症だと告げた訳ではないので単に暑がりなのだと思われているようだが、それはそれで構わない。そして今はまだ渋滞による息苦しさを感じる程ではなかったのだが(苦しさを感じたとしたらそれは別の原因だった)、周りの状況を見るに橋に近付くほど渋滞は激しくなりそうだったので、その前に窓を開けておけるのはありがたい。郁は開けた窓から入る新鮮な空気を吸い込んで深呼吸した。


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