driving in the morning 2

・・・・・from「燃えて青春駆け抜けろ!」

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 この、自分の置かれている状況を変に意識し出したのはいつからだったか。
 警護任務が始まった当初はその任務の重要性に緊張してだいぶ気を張り詰めていたから、そんな余計なことを考える余裕もなかったのだが、当麻を匿って季節を一つ越えるだけの時間がたてば、さすがにこの状況にも慣れてくる。もちろんそれで緊張を解いた訳ではないし、油断しているとは思いたくないが、それでも周りを見回す余裕が生まれるのも必然だった。とはいえ、
 ──それで気付くのがそこって、どうなのあたし!? もっとなんかないのか!
 我ながら自分のおめでたさに頭を抱えたくなるが、気付いてしまった事実を消すことはできない。朝と夜の行き帰り、郁はラジオから流れる音楽に自分の心臓の鼓動もハモらせる羽目になったのだった。
 そして今も、跳ねた心臓のリズムとラジオの穏やかな音楽の噛み合わなさに途方に暮れていたのだが、ふいに開けた窓から子どもの歓声が聞こえた。
 こんな渋滞の中でなぜ? と窓の向こうを見やると、後方からゆっくり郁たちの車に並んだ車が家族連れであることがわかった。行楽地にでも向かうのだろうか、ドライバーのお父さんが渋滞に顔を顰めている後ろの座席で、小学生低学年くらいの子どもが二人、元気にじゃれあっていた。その窓がこちらと同じく少しだけ開いていたので、そのはしゃぎ声が聞こえてきたのだろう。
「ガキは朝っぱらから元気だな」
 今は車の流れが滞っているので堂上も隣の車をちらりとのぞく。その顔がやはりいつもよりやわらかいというか、優しげな気がして、郁は慌てて窓の向こうに目をやる。だからちょっと落ち着けあたしの心臓! 動揺をごまかすように郁は無理やり話を続けた。
「遊びに行くとなったらそりゃ元気ですよ。……これからどこ行くんですかね。遊園地かな。河原でバーベキューも楽しそうですよね」
 これから渡ろうとする多摩川は、都内を西から東へ横断する一級河川である割には自然のままの河原が残っている場所やレジャーに向いた広い河川敷のある流域が多く、図書隊員の中にも休日はレンタカーを調達して河原バーベキューに繰り出す者も少なくない。郁も誘われて一度だけ行ったことがあるが、あれはなかなか楽しかった。青空の下での食事は楽しくておいしくて……いや、そこでなんで食い気に行くかあたしは。
 ──教官と、おでかけしたいなあ。
 もし、この車が隊の公用車じゃなくて。
 今日が休日で。
 着ているのが制服ではなくて。
 それでこのぴかぴかの青空だったら、完璧にドライブデートだ。
 行き先は山か川か海か。思いつく行き先がアウトドアばかりなのは郁の性分で仕方ないが、山は真っ先に候補から外した。山キャンプは奥多摩でこりごりだ。
 ──ってだから! なに勝手に妄想してるかな!
 郁本人もそれと意識しないままに勝手に広がった妄想を慌てて回収する。実は二人で車に乗って河原に着いたところで堂上に「で? こんなとこまで来て何をどうするんだ?」と真顔で聞かれるところまで想像できてしまって、勝手な想像なのにがっくりへこんだ。
 そうだよねえ……万が一この人があたしと二人で出かけることになったって、色っぽいことになる訳がないよねえ……
 唯一、堂上と二人でプライベートで出かけたことがあるのは、この夏のような青空からは遠い、冬の寒い日だった。カミツレのお茶を飲みたい、という堂上の希望を叶えるための外出は、さすがに業務ではなかった……と、思う。が、まあ、あれはね、教官の希望に沿ってお茶の飲める店を案内しただけで……  そりゃあ、その後「映画を見に行く」という話にもなったりはしたけれど、あれは予定していた用事が済んで、たまたま時間が空いたから、その時間潰しという意味しかなかった、はずだ。あげく緊急事態勃発で打ち切られた後、当然のことながらそれっきり実現される当てなどない。当たり前だ、そもそもただの時間潰しだったのだから、そのためにわざわざ別の機会を作る必要などないし、そうでなくとも現在この状況では呑気に映画を見に行けるような時間が取れるはずもない。
 さらにその後、当麻の変装用眼鏡を買いに行ったときも二人で出かけたけれども、あれは完全に業務だった。そりゃあバカップルの振りをしろ、と言われたけれど……そうだ、あれはあくまでも「振り」だったのだし。それに、本当にカップルに見えていたかどうか、この自分──どう見ても女の子らしくはないわ、あげく彼氏役の堂上よりも背は高いわ──では甚だ疑問だ。
 その外出のときに、堂上が郁に眼鏡ケースを買ってくれた。それがどういう風の吹き回しだったのか、いまだもって郁にはわからないが、せいぜいがとこ、眼鏡をむき出しで保管するような真似はするな、という自分の大雑把さを見かねてのことか、あるいは、これから難しい事件に臨むにあたっての部下への励ましだったのだろうと思う。……そうでもないと理由が全く思いつかない。
 でも、理由はなんであれ、それは堂上から贈られたものだった。それも、郁が気にいっていたデザインに似たものをわざわざ選んでくれて。そんなの……郁にとっては唯一無二の宝物だ。だから、サイズ的に多少の無理があるのは承知の上で、郁はそれを制服のポケットに入れて持ち歩いていた。
 これを受け取った直後に出会った、堂上と親しげに話す見知らぬ女性のことも思い出されて、胸がちくりと痛むけれども。
 ……でも、そこで胸を痛める必要も理由もありはしないではないか。自分はこの人の部下で、それ以上でも以下でもなくて。だから、部下として上官に信頼してもらえるよう、励むしかないのだから。
「笠原?」
 ポケットに入れた眼鏡ケースを無意識に布の上から指先でなぞっていた郁が、堂上の呼びかけに「はいぃっ?」と声をあげた。意識を完全にどこかに飛ばしていたところだったから、その声がすっぽ抜けて宙に浮く。相変わらず渋滞で動かない車の中、堂上が郁の方を見て不審げな顔をした。
「どうした、何かしたか」
「何もしてませんよ! だいたいこの車の中で何ができるって言うんですか!」
 ちょっと……妄想の翼を広げてただけですよ! とは言えず、郁は上官の失礼な発言に腹を立てたふりをしてぷいっとそっぽを向いた。隣にいた家族連れの車は、あちらの車線の方が先に動いたようで、今はちょうど一台分前方へ進んでおり、子どもたちの声も聞こえなくなっていた。
「顧問の家に一報入れてくれ。今日はいつも以上に渋滞がひどいから少し遅れると。……週末の晴れ間を甘く見てたな」
 言いながら堂上はサイドブレーキを下げた。この車線もやっと少しだけ前に進めるようだ。ゆっくりと動き出した車の中で郁は携帯を取り出し稲嶺宅に連絡を取る。出てきた稲嶺は「構いませんよ。もともとわたしは出勤時刻が決まっている訳ではありませんし、それに今日は土曜日ですしね。本来なら出勤する必要のない日ですから、むしろゆっくり目に出た方が自然かもしれません。気になさらず、道中事故など気を付けていらしてください」と終始穏やかに応えてくれた。それに「ありがとうございます」と返して通話を切って「了解してくださいました」と報告する。堂上はそれに頷いて、再び動き出した渋滞の前方を渋い顔で見据えた。
「……これからどっか出かけるってんなら、渋滞でももう少し気が晴れるってもんだがな」
 え?
 小さく聞こえたつぶやきに思わず郁は堂上の方を振り向いてしまった。その堂上はハンドルを握っているから相変わらず視線は前方に向けたままだ。それでも自分に見入る郁の気配には気付いたようで「なんだ?」と一瞬だけ横目で郁の方を見返した。
「あ、いや……堂上教官がそういうこと言うのって珍しいなと思って」
 思わず素直にそう言ってしまうと、堂上は少し眉を上げて
「そうか?」
 と言った。
「そうですよ。だって、一応業務中なのに」
 一応、と余計なひと言を付けてしまったのは失敗だったかな、と言ったそばから肩を縮めた郁だったが、返ってきた言葉は予想外のものだった。
「そりゃそうだが、業務も何も、この動かない車の中でそれこそ何ができるって言うんだ。俺だって血の通った人間だからな、朝っぱらからこれじゃイライラもする。二人しかいないんだから少しは愚痴らせろ」
 いつかも一度言われたような言葉に郁の心臓が再び跳ね上がる。
 だから! 二人きりって余計に意識させるようなことをなんで言うかあんたは!
 ……ていうか。
 ──これからどっか出かけるってんなら──
 この場でそんなこと言ったら、一緒に出かける相手はあたしになっちゃうんですけど?
 それでも、いいんですか?
 いやいや、そんなことまで深い意味はなくて、ただ単に、堂上教官がどこかに出かけるって意味で、そこに同行者がいるかどうかとかはどうでもよくて……
 ああもう!
 なんでそういう、人を混乱させるようなことを言いますか!
 よりによって逃げ場のないこんな車の中で!!
 そう思ったら郁は途端に息苦しくなってきた。それはきっと今回も閉所恐怖症のせいではないだろう。混乱するのは郁の勝手で堂上の責任ではない。わかっているけどなんだか悔しい。「窓もうちょっと開けますね!」と一方的に宣言してパワーウィンドウのボタンを力任せに押すと、外から入ってきた風がさあっと郁の短い髪を揺らした。「そんなに暑いならクーラーつけるか?」という堂上の実は的外れな問いを、郁は「結構です!」と一言でいなして風に当たる振りをして開けた窓に顔を寄せ、上を見上げた。
 一面の、抜けるような青空。ぴかぴか光る太陽。
 ──ああ、このまま、どこかに行ってしまえたらいいのに。
 堂上の言葉に背中を押された妄想が再び羽ばたきはじめて郁は途方に暮れた。
 もちろんそんなことができる訳はなく、それ以上にする気もない。だのに余計な妄想は留まるところを知らず、抑えようとする郁の手をすり抜けてどこまでも広がっていく。
 どこどこ跳ねる心臓のリズムに合わせるように、ラジオから来るべき夏を歌うアップテンポの音楽が流れていたが、そのメロディに耳を貸す余裕もないまま、郁は青空に向けて小さくため息をついた。

fin.


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