driving in the night 2

・・・・・from「燃えて青春駆け抜けろ!」

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 絶対! 絶対に内緒にしてくださいね!

 不意にそんな声が聞こえて、堂上は手にしていた書類から目を上げた。
 声の主は当然のことながら郁だ。
 居間の隣にある客間で基地から持ち出せた少しばかりの書類を片付けていた堂上だが、さっき息抜きに麦茶を取りに台所へ向かったとき、なぜか当麻も一緒になって庭の草むしりをしていたのを見たから、その声は当麻に向けたものに違いない。
 しかし、一体何が「内緒」なのか?
 万が一にも業務上のミスの隠蔽など企んでいようものなら何がなんでも問い質さなくてはいけないが、例えばうっかり自分のマグカップを割ってしまったとか、そんなささいな日常の失敗ならともかく、業務に関係したミスや、そうでなくとも他者に迷惑をかけるような失態を隠そうとする郁ではないし、そもそも彼女には嘘をつき通せるような器用さもない。
 そうであるなら、「内緒」とはとてもささやかな、しかし彼女にとっては本当に「内緒」にしたいことなのだろうが、一体、何をやらかしたのやら。
 ……当麻に下手な失礼を働いたのでなければいいのだが。
 稲嶺邸の警護に就くようになってしばらくたつが、その間にも郁はその無邪気さゆえというか天然ゆえというか、とにかく当麻にいろいろ失礼なもの言いをしては堂上をはらはらさせていることを思い出し(それは堂上が当麻の大ファンであるがために余計気になっているのだ、ということも自覚はしているのだが)、堂上は眉を寄せて立ち上がると客間を出た。
 廊下から居間をのぞくと、郁と当麻の「内緒話」はまだ続いているようだった。それはあくまで内緒話モードのひそひそ声で、さっき大きな声をあげたのがイレギュラーだったらしい。会話に夢中なのか二人ともまだ居間の入口に立つ堂上に気付いていない。堂上から見たら縁側に座る当麻の背中越しに、その隣に座った郁が顔を真っ赤にして何事かを必死に当麻に訴えているようだった。
 一体何をそんなに必死になっているんだか。
 その場にもう少し留まり聞き耳をたてれば、あるいは何か聞こえたかもしれないが、そんな盗み聞きは主義に合わない。堂上はわざと足音をたてて居間に入っていった。その音に郁がまるでモグラ叩きのモグラのようにぴょこんと飛び上がって庭に立ち尽くし、それとは対照的に当麻がゆっくり振り向いてにこりと笑った。
「ああ堂上くん、お疲れ様です。すみません、麦茶をこちらに独り占めしてしまいました」
 そう言って小さく頭を下げた当麻の傍らには、郁が持ち出したのだろう麦茶のボトルが飲みかけのグラスと並んで置かれていた。
「いえ、当麻先生こそお疲れ様です」
 言いながら堂上は縁側に向かう。すぐ手前までたどり着いたところで郁が堪えきれないとでもいうように一歩後ずさり、がばりと頭を下げた。
「あ! あたし、手洗ってきます!」
 それだけ言って逃げるように身を翻して勝手口の方へ走って行ってしまった。……何をやってるんだ、あいつは。
 呆れた顔でその背中を見送り、堂上は当麻の側に腰を下ろした。
「笠原が何か失礼をしましたか」
 単刀直入にそう切り出すと、当麻はきょとんとした顔を堂上に向けた。
「どうしてそう思います?」
「先程、笠原が変な声をあげていたので……何かを内緒にしてください、とかなんとか。先生に余計なご迷惑をかけていなければいいんですが」
 ただでさえ心労を重ねている当麻に余計な面倒をかけたくない。そんな思いで発した言葉に、なぜか当麻がぷっと噴き出した。
 なんだ、俺は何かおかしなことを言ったか。
 困惑する堂上に当麻は「ああ、すみません。失礼」と軽く頭を下げた。
「そんなことはないですよ。むしろぼくの方が笠原さんに無理をお願いしたんです。……笠原さんに、図書隊に入ろうと思ったきっかけを伺ってたんですよ」
 予想外の言葉に、堂上は驚愕を隠すことはできなかった。息を呑み、目を見開く。そんな堂上の反応をどう思ったのかはわからないが、当麻は飲みかけの麦茶のグラスを手に取り、一口に飲み干した。
「堂上くんは、笠原さんが図書隊に入った理由、ご存知なんでしょう?」
 ご存知もなにも。途端に様々な感情が堂上の中に渦巻くが、頷いて、ただ一言だけ返した。
「彼女の入隊試験の面接には自分も立ち会いましたので」
 かれこれ四年前となるその面接の衝撃は今も鮮明に思い返すことができる。胸を刺すほどの驚きと、秘かな喜びと──
 それからさらに四年前、今から数えればもう八年前の、独断による見計らい権限執行。そのこと自体を後悔したことはない。するはずがない。そう思っていたし、今も思っている。
 だが、その結果として、彼女が図書隊という危険な場所に過去の彼の背中を追ってやってきたことを知った時、己を打ちのめす程の後悔が堂上を襲ったのも事実だった。
 空になったグラスを置くと、当麻は「なんというか、純粋ですね、彼女」と目を細めた。
「大リーガーに憧れて野球選手になりたいと思う男の子と同じなんだなあと思いましたよ」
 その喩えは残念ながらひどく適切で、堂上は思わずため息をついた。
「ガキなんですよ」
 たった一度助けられたからと言って、それだけでその後の人生を決めてしまうだなんて。小学生じゃあるまいし、もっと……もっともっと、いろいろ考えるべき点はあっただろう。
 もちろん、きっかけは何であれ選択の自由と責任は郁自身にある以上、堂上には何の責もない。それはわかっている。わかっているが。
 それでも、そもそも彼女の人生には欠片もなかったはずのその選択肢を彼女に与えてしまったのは確かに堂上その人だ。
 だのに吐き捨てるように言ってしまった言葉に顔を顰めた堂上に、当麻の言葉はあくまで穏やかだった。
「そうですか?」
 その声に堂上は思わず当麻の顔を見入ってしまう。その視線に気付いているのかいないのか、当麻は庭先に揺れるカミツレの花を見るともなしに見ている。
「作家になりたい、って言う人に、ぼくもよく言うんですけどね。まずは『なりたい』と思わないと始まらない。でも『なりたい』と思うのと、『なる』のは全然違います。『なりたい』と思った人が全員なれるなら、大リーガーも作家も、いわゆる職業としては成立しないかもしれません。……とは言え、本当に本気で『なりたい』って思ったら、『なる』までは意外といけちゃうんですよ。作家なら、一冊本を出すとか、野球選手なら、どこかのチームに入団するとかね」
 もちろん、そこまでたどり着けるのはやっぱり一部の人間だ、ということも事実なんですが、と付け足して、当麻は空になったグラスに自分で麦茶を注ぎ足した。それをまた半分くらいまで飲んで、ことりと縁側に置く。
「ただ、そこまで到達した人が……『なれた』人が皆ずっとそれであり続けることができるか、と言えば、そうではない。ずっと作家であり続けられる者、選手生命を全うできる者──残念ながら、全員ではない。どんな仕事でも、それを全うできるかどうかは本当に難しいことです。図書隊の人たちもそうでしょう?」
 そこで堂上を振り返った当麻に、堂上は小さく頷いて見せた。
 毎年多くの新人が本を守るという意志のもとに入隊試験をクリアして入隊してくるが、最初の錬成訓練の段階で脱落する者も決して少なくない。そしてそれを乗り越えた後も、日常の業務、訓練、そして戦闘を経るうちに、様々な事情で隊を離れていく者もまた、数多い。
 新入隊時には数百人の単位でいたはずの同期が半分以下になるまでにそう長い時間はかからなかった。
「ましてや、これは笠原さんにも言ったんだけど、図書隊というのはとりわけ危険の多い仕事でしょう。そこでずっとお仕事して来られるというのは、もうそれだけですごいことだなあ、と。そんなお仕事に若いお嬢さんが就こうとしたきっかけはどんなものなんだろう、と思って聞いてみたら、まさか王子様なんて言葉が出てくるなんて思わなかったものだから。ぼく、本当にびっくりしたんですよ」
 あのバカ、こんなところでまで「王子様」とか言ったのか。いい加減自分で恥ずかしくないのだろうか。堂上は頭を抱えたくなったが、膝の上で拳を握りしめることでそれを我慢した。
「でも、逆に納得しました」
「え?」
「やっぱり自分と同じなんだな、と思ったんです」
 静かに続く当麻の言葉は堂上にとっては予想外なものばかりで、返す言葉が見つからない。そんな堂上を当麻は真っ直ぐ見据えた。
「自分の思う物語を描きたい。世界を生み出したい。そして、それを多くの人に読んでもらいたい。そんな欲があるからこそ、ぼくは作家になったし、これからもずっと、それを叶えるために作家であり続けたい。そして笠原さんは『王子様みたいに本を守る人になりたい』と言っていました。……『こうなりたい』と思った一番最初のきっかけがいつまでも色褪せずに心にあるからこそ続けてこられてるって意味では、まるで同じなんだな、と素直に納得させられましたよ」
 もちろん、きっかけは人それぞれいろいろなんでしょうけれどもね。そう言って当麻は笑った。
「……確かに、本を守りたい、という意志において、笠原はとても純粋ですし、他と比べても劣るところのない強い意欲を持っていると思います」
 言いながら堂上は、どんな顔をしたものか考えあぐねる。
 似たようなことはいつか基地を訪れた郁の父親にも伝えたことがある。ただそれは、あくまで客観的に郁を見てどう思うか、という観点から述べたもので、だからこそなんの揺らぎもなく言うことができたのだが、今この場面では……もちろん、言った言葉に嘘偽りなどないが、彼女がその意思を持つきっかけになったのは「王子様」──つまり自分自身である、と真っ向から言われたタイミングで言うのは、堂上にとっては若干の勇気が要った。たとえ当麻が王子様の正体を知らないとしても。
 そんな微妙な空気の中、当麻がくすりと笑った。なんだ? と軽く眉を上げた堂上の前で、当麻の笑みは少しずつ強くなる。
「やっぱりぼくは、笠原さんのお願いを聞いてあげることができないなあ」
 は? いきなり何の脈絡もない言葉を呟いた当麻に、堂上の困惑はさらに増す。その一方、当麻の笑みもさらに強くなった。
「いや、ぼくね。……実は、笠原さんの『王子様』の正体、言い当ててしまったんです」
 ──は?


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