フクさんの素朴な疑問。

・・・・・from「燃えて青春駆け抜けろ!」

 一人暮らし、かつ日常のほとんどを車椅子で過ごす稲嶺の生活を助けるために、親類の女性が通いの家政婦として稲嶺邸の家事を担っている。
 その名はフクさん。
 フルネームは稲嶺邸警護担当である堂上班の誰も聞かされてはいない。
 稲嶺が関東図書隊司令であった頃ならともかく、顧問となり一線を退いた稲嶺の自宅に対しては良化特務機関が警戒を解いていることは、手塚慧からもたらされた情報からもほぼ確定事項である。しかし万が一の事態を考慮し、フクさんの安全のためには図書隊員とは必要以上に縁を作らずにいた方がよいという判断であろう。
 一方のフクさんの方も、ある日突然毎日交替でやって来るようになった堂上班のメンバーについて不用意に詮索することはなかった。
 さすが、今のような非常事態以前から……稲嶺が現役の司令であった頃からずっとこの家の家政婦を務めてきた彼女である。稲嶺という人物と彼を取り巻く様々な事情について理解し、だから余計なことはしない、言わない。稲嶺が図書基地に出勤したあと、暖かな陽が差し込む時間は、フクさんの立ち働く音とともに穏やかに過ぎていった。
 が。
 そんなフクさんだって、やっぱり普通のおばちゃんだった。テレビをつければ主婦向けワイドショーだし、ご近所で顔見知りに会えば最近の噂話に花を咲かせる、といった類の。
 だから、小牧・手塚組が警護担当となって何度目かの朝、いつものように小牧たちに邸内の掃除を指示した後で、本当に唐突に
「ねえ小牧くん。あの二人って、お付き合いしてるんでしょ?」
 と、うずうずした様子で声をあげたのも仕方のないことかもしれなかった。
 あの二人、と彼女が小牧にそう問えるのは、彼らと交代で稲嶺邸に来ている堂上・郁組のことでしか有り得ない。
 ──いや、まあ、いずれそうなるんだろうな、とは幸か不幸か俺も気付いてはいるけれど。
 雑巾を絞りながら手塚は思う。
 でも、今はまだそうじゃない。ていうか、今はそれどころじゃないし。
 手に残った水をバケツに払い、ふいと顔を上げたら、手塚から見たらフクさんの向こうに見える小牧の顔がちょっとした驚きから笑顔に変わるのに気付いて、手塚はぎょっとした。……小牧のあの笑顔は。
「実はそうなんですよ。フクさん、よくわかりましたね」
 しれっと言った小牧に手塚が「小牧二正!?」と思わず驚きの声をあげてしまった。しかしフクさんは小牧の発言にがっつり食いついたので背後の手塚のことなど全く気にしない。まるで少女のように頬を紅潮させて小牧の方に身を乗り出してきた。
「あら! やっぱりそうなの! そうじゃないかと思ってたのよ!」
 ──だって、当麻さんが書斎に入っていらして、堂上くんと郁ちゃんが二人でお話してるのとか見てるとね、なんだかとってもいい感じなのよ。もちろんね、こんなおばちゃんがいる場所でナイショ話をしてる訳じゃないんでしょうけど、なんていうのかしら、お互いに気遣ってるって言うの? とにかくいい雰囲気なのよ。かと思えば郁ちゃんがちょっとどきどきしてるみたいに見えたりね。これは絶対お付き合いしてるのねって思ったのよ!
 小牧や手塚の知らない二人の様子を熱く語るフクさんに、手塚はぽかんとするばかりだったが、小牧はにこやかにうんうんと頷きながら耳を傾けていた。
 ちょ、小牧二正、そこ否定しないんですか!? って、もしかして、俺の知らない間に、あの二人はそういうことになってたんですか!? そんなこと柴崎だって言ってませんでしたが!? まさか俺だけが知らなかったんですか!? いや別に聞きたいとも思いませんけれども!
 あまりにあまりな展開に口をぱくぱくさせる手塚は小牧からも見えているはずなのだが、フクさん同様に完全無視を貫かれているため、手塚のそんな反応は「なかったこと」になってしまっている。
「今はこんな状況ですし、他にも諸事情あって表向きは伏せていますが」
 笑顔は相変わらずのまま、しかし、少しだけ声を落とし……いわゆる「内緒話」のトーンで小牧は言った。その「内緒話モード」に引きずり込まれるように、フクさんの声もつられて小さくなる。
「そうよねえ、こんなお仕事してたら、いろいろヒミツにしておかなくちゃいけないこともあるでしょうしねえ」
「そうなんです。さすがフクさん、察しがよくて助かります」
「じゃあわたしも何も言わずにいた方がいいわね」
「ええ。是非そのように。いろいろお気遣いいただいてありがとうございます」
 まかせてちょうだい。そう言いつつも満面にくすくす笑いを浮かべたフクさんは、ちょうど鳴った洗濯機のブザーに「はいはい」と返事をしてぱたぱたと歩いていってしまった。その後ろ姿を見送りながら、手塚はようやく「小牧二正、どういうつもりで……」と自分の存在を主張するタイミングを得た。その声に小牧もやっと手塚に向き直ると軽く苦笑を浮かべ小声で言った。
「ああいうタイプは下手に否定するとかえって探ろうとして引っかき回すからね」
 ああ、やっぱり。そうだよな。手塚は思わずほっと息をついた。
「驚かさないでくださいよ。まさか俺の知らない間にそんなことになってたのかと思ったじゃないですか。勘弁してください」
 こちらも念のため小声で返した手塚に、小牧は少しだけ意外そうな顔をした。
「あれ? 手塚はそうならないと思う?」
 顔と同じ声音で問われて、手塚はうっと息を呑んだ。
 ──だからね、恋は叶うと思うのよ
 いつか柴崎がぽろっとこぼした、そのときにはもう自分だって気付いていた。柴崎にさんざん朴念仁扱いされている自分ですら、だ。
 あの二人がお互いを真っ直ぐに見つめていること。このままいけば遠からず付き合い始めるだろうこと。そして、きっといずれは結婚までたどり着くであろうこと。
 そんな二人だから、フクさんが「二人は恋人同士だ」と勘違いしたところで実は不思議はないのだと今さら思う。……思うけれども。
「……今後はともかく、今はそうじゃないのにあんなこと言っちゃって、大丈夫なんですか」
 今はまだあまり考えたくない自分の予測は棚に上げて目の前の心配をしようとした手塚の逃げ足を、しかし小牧は見逃してはくれなかった。
「へえ? 今はそうじゃないのに、ってことは、手塚もいずれは、って思ってるんだ?」
「なんですかそれ誘導尋問ですか!?」
「あ、誘導されてるんだ?」
「え、あ、ていうか、別にあの二人がどうなろうと知ったこっちゃないですが!」
 おそらく確定事項となるであろうという未来予測はすれども、それを手放しで受け入れられるかといえばまだ微妙なところだった。とはいえ、それはあくまでも、同じ部署、同じ班で毎日顔を合わせる極々身近な人物同士の交際となると、その側にいる自分たちはやはり少し落ち着かない……有り体に言えば居心地の悪いものだろうかと思うくらいで、別にあの二人が不釣り合いだと思っている訳ではないし(あの郁を一般的に恋愛対象となる女性として見られるかはまた別の話として)、ましてや、
「ああ、そういえば昔、手塚って笠原さんに告白したことあったんだっけ。実はまだ未練が?」
「有り得ませんから!!」
 そんな昔の大失態を掘り返されて手塚はたまらずその場から逃げだした。背中を小牧の笑い声に送られながら。
 くそっ、だから別に笠原がどうこうとかいうことは全くなく!
「勘弁してくれ……」
 どうひっくり返っても有り得ないとわかっているのにこんな話題が出る度についでのようにネタとして俎上にあげられる己の苦い過去に、手塚はいっそあの二人がとっととくっついてくれたらいいのに、と初めて心から思った。

     *

 当麻の亡命事件が無事終息し、稲嶺邸も元通りの静けさを取り戻してしばらくたった頃。
「ねえ和市さん、堂上くんと郁ちゃんはいつご結婚されるのかしらねえ」
 突然そんなことを言いだしたフクさんに、稲嶺は彼らが事件後にようやく交際を始めたようだという話をしただろうか、いや自分がわざわざそんな話をしたはずはないのだが、と首を捻るが、とはいえ今更否定する必要もない話題なので、「そうですねえ」と何事もなかったかのように応えた。
「おそらく、そんなに先のことではなさそうに思いますがね」
 ──どうか、その朗報を無事に受け取ることができますように。彼らが無事にその日を迎えることができますように。
「あらそう! それは楽しみだこと。郁ちゃんは背が高くてスタイルがいいから、ドレス姿はさぞきれいでしょうねえ。堂上くんも真面目だし、頼りがいもありそうだし、きっととってもお似合いねえ。でも、これで堂上くんがもうちょっとだけ背が高かったらもっとお似合いだったのに。本当に惜しいわねえ」
 まるで少女のように楽しげに微笑むフクさんに、稲嶺は「やはり女性はいくつになっても手厳しい」と苦笑した。


>> 続・フクさんの素朴な疑問。


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