無自覚

・・・・・from「燃えて青春駆け抜けろ!」



 堂上教官、あまり笠原のこといじめないでやってもらえます?

 思いがけない場所で、思いがけないときに、思いがけない言葉。
 堂上は眉を寄せて声の主を振り返る。果たして、いつかのように柴崎が階段の上から手摺り越しに堂上を見下ろしていた。
 ──だから、部署違いとはいえ上官の頭越しに声をかけてくるな。
 いつかも思ったのと同じ感想を抱き、しかしいつかと同じようにそれを柴崎に言えなかったのは、先に投げられた言葉があのとき同様に堂上にとってあまりに予想外のものだったからだ。
「別にいじめた覚えはない」
 柴崎の言葉に全く心当たりがない堂上は寄せた眉をそのままに言い返す。そりゃあ、郁がなにかしらの失敗やうっかりをやらかした日には拳骨の一つも落としたりはするが、それは決していじめなどではないし、当の郁だってそれは正しく理解しているはずだ。それに彼女の入隊からまる三年たったというのに残念ながらそれはいまだ日常茶飯事となっているのだから、今更それを掴まえて「いじめ」と言われた日にはこちらこそなんのいじめかと思ってしまう。
 しかし……言った相手は柴崎だ。
 堂上は慎重に相手の出方を伺う。言われた言葉についてなんの心当たりも後ろめたさもないが、本人の意図せぬところで予想外の効果をもたらすような言動があった可能性は確かに否定しきれるものではなく、そして柴崎は郁の入隊以来の同室、親友だ。誰に言わずとも柴崎にだけこぼす本音があっても不思議はない。
 ……何か、あっただろうか。
 堂上の頭が瞬時にフル回転する。最近自分の言動で郁の顔を曇らせるようなことがあったか。迂闊を叱ってのことは本当に日々数え切れない程あるが、それ以外に?
 いくら考えてもやはり思い当たる件がなく、脳内検索エンジンの検索範囲を広げようとしたところで爆弾が落とされた。
「笠原にやきもち焼いたんですって?」
 ────なんだそれは。
 そのときの自分はさぞ間抜けな顔をしていたに違いないと堂上は思った。なぜなら、最初に投げつけられた言葉以上に素っ頓狂に過ぎるからだ。
 俺が?
 やきもちを?
 笠原に?
 なぜ?
 誰に対して?
 どうしてそういう話になった。全く訳がわからん。
 ……と言い返したいのだが、あまりにも話の展開が突拍子もなさ過ぎて言葉にならない。
 唖然としたままの堂上に、柴崎の言葉が続いた。
「なんかへこんでましたよ、気がきかなくて機嫌悪くさせちゃったって」
 昨日の帰りの車の中でずっと機嫌悪かったんですって? 車の中に二人しかいないのに片方がそんなご機嫌ナナメじゃもう片方はさぞ居心地悪かったんじゃないですか。
 そこまで一気にたたみかけられて、ようやく堂上の頭が昨日の夜──稲嶺邸からの帰還の道中を思い出した。
 ……ああ、あれか。
 ようやく思いついたそれは、しかし、柴崎の言うような「やきもち」などであるはずがなかった。単に、いつもの通り、郁の失態を叱っただけの話である。

     *

 そもそもは一昨日の夜のこと。
 小牧・手塚組と警護番を交代し、稲嶺、当麻とともに夕食を囲んだ後のことだ。
 夕食を済ませた後片づけは警護番の役目だ。この日も稲嶺は食後「よろしくお願いします」とにこやかに言い置いて自室に戻り、当麻はローテーブルに移ると折り紙細工をいくつかこしらえていた。それは「今はとても小説を書く気分にはなれない」と言う当麻が手慰みに時折遊んでいるもので、彼の日中の定位置となっている書斎のデスクにキリンやらカメやらがちょこんと並んでいるのを堂上も何度か目にしている。ただ、居間まで持ち込むのは珍しい。余程暇を持て余しているのか……それだけ、「書く」という行為を奪われると他に何もすることがない、という彼の状態を表しているようにも見えた。
 と、その折り紙に郁が食いついた。
 郁だってその折り紙細工は既に何度も目にしているはずだが、さも今初めて気が付いたかのように楽しげな声をあげた。
 それが当麻の気詰まりを晴らすための心遣いの声かけだとわからない堂上ではない。だから何もなければそのまま聞き流してもよかったのだが、今はまだ食器の片付けをしている真っ最中だ。当麻を気遣うその心意気は買うが、まずはやるべきことを終えるのが先だ。物事の順番を間違えていることに気付け、と思うのだが、当麻の方も「やってみますか」などと話を広げるものだから、郁は完全に片付けのことなど意識の外に放り出して当麻の横に座り込む始末だ。仕方がないから堂上が汚れた皿をすべて台所に運び、挙句洗い物も全部堂上がやった。その間にも「笠原!」と呼びかけたが、居間からは二人の楽しげな声が返ってくるばかり。
 ──お前は小学生か! 目先のことに気を取られてやるべきことを放り出すな!
 そんな説教ができたのは、結局そのまる一日後、昨日の帰りの車中であった。ハンドルを握っているから拳骨こそ落とさなかったが、郁の方はきっと気持ちの中でだけ拳骨を食らっていたであろう。そう想像できる程度には自分も強く叱った覚えはある。
 ……確かに、今考えてみれば、そこまで叱責する必要もなかったかもしれないが。
 しかし──

     *

「昨日の帰り道で叱ったのは確かだが、そこから何をどうしたら『やきもち』なんて単語が出てくるんだ」
 郁が堂上の想像も及びもしない思考を繰り広げることは今までもままあれど、今回のこれは本当に何がどうなってそうなったのか皆目見当もつかない。それでその疑問を素直に言葉に載せたら、柴崎の「あっらー、ご本人がそう仰います?」という素っ頓狂な声が返ってきた。
「どういう意味だ」
 眉間の皺をさらに深くして堂上が問い返せば、柴崎がいたずらっ子のような微笑みを浮かべた。
「だって、笠原が言ってましたよ。堂上教官って当麻先生の大ファンでしょ? だから、笠原ばっかり当麻先生と仲良くしてて気を悪くしちゃったのかもって。つまりは笠原にやきもち焼いたんでしょう?」
 ……なんだそれは。
「そんな訳あるか、バカ」
 郁の思考回路の大跳躍に本気で呆れた堂上を見下ろす柴崎の笑みに、ふいに「にやり」という擬音が加わった、ような気がして、堂上は一瞬身構えた、が。
「あら、じゃあ逆でした? 堂上教官は当麻先生にやきもち焼いてたのかしら?」
「はぁ!?」
 一体何を言い出すんだこいつは。堂上はせっかくの構えもふっ飛ばし、今度こそ唖然とした感情をそのまま声に出してしまった。それは意外と大きな声になってしまっていたようで、近くを通り過ぎていた館員たちに怪訝そうな目で振り返られてしまい、堂上は小さく咳払いなんかしてその場をごまかしてみる。そんな堂上の様子など気にした風もなく、柴崎はさらにその美しい笑みを強めた。
「ま、それは冗談として? 笠原には、堂上教官は当麻先生の大ファンなんだから仕方ないじゃないって言っておきましたけど、笠原は笠原なりに当麻先生を励まそうとしてるんだと思いますし、あの子も自分の気のきかなさにちゃんと気付いてるので、勘弁してやってくださいね」
 それじゃよろしくお願いしまーす、と言いたいことだけ勝手に言って、柴崎はひらりと身を翻すと階段を昇って行ってしまった。
 ……やきもち、だと? 俺が笠原に? 当麻先生を独り占めされたからって?
「ガキじゃあるまいし、そんなバカなことあるか」
 昨日の車の中で自分の機嫌がそんなに悪く見えたのだとしたら、それはやはり郁の勤務態度の問題のせいだ。くだらない、とばかりに吐き捨てて階段を降りようとした堂上の頭の中に、ふいに柴崎のもう一つの言葉がよみがえった。
 ──堂上教官は当麻先生にやきもち焼いてたのかしら
 アホウ、それこそそんな訳あるか。どうして俺が当麻先生にやきもちなんか──

 ──確かに、今考えてみれば、そこまで叱責する必要もなかったかもしれないが。

 そうだ、昨日の帰りの車の中、どうして俺はあんなに強く笠原を叱った? 確かに叱責するべき点ではあったが、まる一日たっていながらそこまで言う程のことでもなかったと今なら思う。なら、なぜ。
「いや、そんな訳、」
 ……本当にないか?
「ない。断じてない」
 俺が当麻先生にやきもちを焼いた、だって?
 そんなこと、あるはずが────
「ちょっ! 大丈夫ですか、堂上二正!?」
 階段の最後の一段を踏み外した堂上に、通りがかりの館員が慌てて声をかけた。


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