手のひらの魔法 2・・・・・from「強いお酒をちょうだい」 |
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* いつもなら駅まで歩いて電車に乗るところを、今日は少し先のバス停まで歩いてバスに乗った。 平日の昼間だからか、バスの中はお年寄りや赤ちゃん連れの若いお母さんなどで半分程しか埋まっておらず、一人掛けの席もまだ空いていた。それを確認した郁はほっと息をついてそのうちの一つに座った。バスの中はエアコンが効き過ぎて少々寒いくらいで、窓が開けられたらいいのに、と少し息苦しさを感じた郁はこっそりと深呼吸した。 実は、目的地のちゃんとした場所を郁はよく知らなかった。たまに乗る電車の中から見る、やけに大きく目立つ看板が記憶に残っているだけだ。その記憶にある店名を頼りにネットで検索してみたところ、電車で二つ先の駅が最寄りらしく、駅から徒歩五分、と銘打った地図が出て来た。 電車か……と、郁は小さく息を吐く。やっぱり、乗らなきゃダメか。そう思いながらもう一度その地図を見直すと、店から駅とは逆の方向に小さなバス停のマークがあった。地図の枠外の但し書きを見るに、どうやら図書基地の少し先にあるバス停を通る路線バスと同じ路線のようだった。 ああ、じゃあ、バスで行こう。 郁はその地図をプリントし、バス停から店までの道のりを赤ペンでなぞった。もし迷ったとしても、あれだけ大きな看板を出している店だ、道行く人に聞けばわかるだろう。 二つ先の駅だから、電車に乗ってしまえばものの数分なのに、駅と駅をつなぐ路線バスはあちこち遠回りをしてのんびり進むから、目指すバス停を降りた頃には正午を少し回っていた。 走り去るバスの後ろ姿を見送ってから、郁は鞄から折り畳んだプリントを取り出した。自分で引いた赤線をたどって歩くと、程なく見覚えのある大きな看板が見えて来る。 『酒のデパート ○○屋』 ほとんど下戸の郁にはまったく用のないはずの店。 しかし、今日の目的地は、確かにここなのだった。 その大きな倉庫のような店の中に、まるで年齢を隠して買い物に来たのをバレないようにとこそこそする高校生のような居心地の悪さを感じつつ、郁は足を踏み入れた。 初めて入った店内には色とりどりの缶や瓶、そしてそれらがぎっちり詰まった段ボールが所狭しと並べられていた。 酒の種類なんてビールとワインと日本酒と焼酎くらいしか知らない。もちろん、おのおのの銘柄などちんぷんかんぷんだ。それなのに郁は、ビールじゃない、たぶんワインでもない、と通路を当てずっぽうに進んでいき、たどりついたのは洋酒のコーナーだった。 見渡す限りに並んだボトルを見回したところで、どれが何やらさっぱりわからないから、ぱっと目についたボトルを手に取っては、ひっくり返してアルコール度数を見る、を繰り返した。四十度。十七度。二十三度。 ああ、ビールとかワインって何度くらいだったっけ。そっちを確かめてからにすればよかった。これだけ見ても、どれだけ強いのか全然わからない。 どうせなら、少しでも飲みやすいのがいいな。甘くて、口に優しくて、とろけそうなの……何もかも融かしてくれそうなの。 今日から三日間、柴崎が部屋にいない。 今晩酔いつぶれてしまったとしても、いくらなんでも明日まる一日休んでいれば、さすがの郁も復活しているだろう。だからその翌朝には元気に出勤できるだろうし、その晩には何事もなかったかのように、柴崎に「おかえり」と言えるだろう。 だから、今日。今日しかない。 強いお酒を飲んで、酔っぱらって、何もかもわからなくなって、そして……忘れてしまいたい。 ふと目についた琥珀色のころんとしたボトルを手に取り、ひっくり返して裏のラベルを見る。二十四度。 表に返せば、見た事のない商品名の下に「ORANGE CURACAO」の文字。 オレンジ、キュラ……ソー? オレンジのお酒、なのかな。よくわかんないけど……うん、これにしよう。オレンジなら苦くないだろうし、あんまり強過ぎても、さすがにやばそうな気がするし。 よし、と小さく頷くと、郁はそのボトルを胸に抱いて歩き出した。そうしてレジに向かいかけ、そうだ、酔い覚まし用にお水とお茶を買い足しておこう、と思い立ってソフトドリンクの並ぶ棚へと足を向けたそのときだった。 「……笠原?」 不意に、毎日朝から晩まで嫌というほど聞き慣れた声に背後から呼び止められ、郁の足が止まる。 どうして、よりによって、こんなときに、こんなとこで。 心は、その声を無視して気づかなかった振りをして立ち去ってしまえばいい、と思っているのに、その心とはまるで裏腹に、体は反射的にその声に振り向いてしまった。 果たしてそこには、その声の主……下げたカゴにビールやら乾きものやらを放り込んだ堂上が心底意外そうな顔で立っていた。 振り向いた郁の顔を確認して、堂上はいつもどおりのきびきびとした足取りで郁の方へ歩いてきた。平日の昼間の酒の量販店なんてガラガラもいいところだから、二人の間には他の客の姿はない。近付いてくる堂上から隠れる術もなく、郁はその場に立ち尽くした。 「飲めもしないくせに、なんでお前がこんな店にいるんだ。……ああ、そうか。ソフトドリンクもその辺のスーパーより安いしな」 郁の行こうとした先を郁の肩越しに見て、一人で納得したように言った堂上の言葉に気まずくなって、郁は思わず胸元に持ったボトルを隠すように深く抱き直す。その動きを、堂上が不審気に見咎めた。 「ん? お前、何持ってんだ。……洋酒じゃないのか、それ。ちょっと見せてみろ」 「あ、あたしが何買ったっていいじゃないですか」 ボトルを取り上げようと手を伸ばす堂上からそれを隠すように郁は身をひねったが、むしろその動きがますます堂上の不審を煽った。堂上の手が強引に郁の肩を掴み、その拍子に郁の体がびくっと硬直する。その隙をついて力任せに振り向かされると、郁の手から琥珀色のボトルがひょいっと取り上げられた。 「あっ」 「これ……リキュールか。お前がこんなの飲んだらぶっ倒れるぞ。どういうつもりだ」 呆れた、というよりはむしろ困惑した顔で堂上が取り上げたボトルと郁を見比べる。 そんなの……そんなことくらい、自分だってわかってるわよ。そんな思いは決して口には出さず、郁はボトルを取り返さんと堂上の方へ手を伸ばした。 「返してください。あたし、それ買うんですから」 「アホ言うな。これはお前が飲むような酒じゃない。どうしても飲みたいならせめて缶チューハイくらいにしとけ。でもって、柴崎がいるときな」 きっと今日から柴崎が不在なのも知っていての言葉だろう。そこまで言われて……気遣われているとわかって、なおさら郁はムキになった。 「大きなお世話です! あたしだって大人なんですから、一人で飲みたいことだってありますよ! 返してください!」 しかし対する堂上はあくまで冷静なままだった。静かな声で郁の高くなった声を制する。 「だめだ。お前にこんなの一人で飲ませてどうなるかなんて、火を見るより明らかだ。それともお前、寮で一人でぶっ倒れて寮監に迷惑かけたいのか?」 「そ……じゃないですけど! そうならないように気をつけて飲みますから大丈夫です!」 「おまえの『大丈夫』が当てになるか。とにかくこれはだめだ。返してこい」 「なんで! 業務中でもないのに命令されなきゃいけないんですか! あたしがプライベートで飲みたいって言ってるんだからほっといてくださいよ!」 確かに郁の言う事はもっともで、郁がプライベートで何を買おうと堂上が口出しすることではないはずだった。そのためか堂上が一瞬油断したのをついて、郁が力任せにボトルを奪い取ろうと腕を伸ばすが、その手を堂上がすかさず逆の手で払いのけようとする。しかし、堂上よりもいくばくかリーチの長い郁の指先がボトルの頭にひっかかり…… 「あっ」 と声を上げたのはどちらだったか。まるでスローモーションのように二人の間を琥珀色のボトルが落ちて行き、床に落ちて、割れた。 その瞬間、郁の感覚器を刺激したのは、カシャン、と案外軽く響いたガラスの割れる音でもなく、飛び散ったガラスの破片がサンダルの素足に当たった痛みでもなく、つま先や足首、クロップドパンツの下にのぞく臑にまで飛び散ったリキュールの触感でもなく……つん、と鼻をつく酒の臭いだった。オレンジリキュール独特の甘さ以上に、強い酒ならではの濃厚な酒の臭いが足下から一気に立ち上る。 「笠原、怪我は!」 すぐさま足下にしゃがみ込んだ堂上を見る事も返事をする事もできず、郁は顔を覆った。 |
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