発火ダッシュ 4・・・・・from「日本の夏が来た。」 |
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「そろそろ行くか」 堂上の一言で、堂上班は各自の仕事にキリをつけて立ち上がった。とはいえ、郁の仕事はまだ少し残ってしまっていて、こりゃ訓練の後に残業決定だわ、と思わずため息をつく。しかしそのおかげでさらに残業が増えるのは班長の堂上なのだから、自分が落ち込む資格はない。訓練が終わったらさくっと着替えて頑張って片付けよう! そう自分にハッパをかけて、うなじの冷却シートを剥がして捨てると、格技場へ向かうために事務室を出て行った堂上たちを追った。 廊下にはあちこちの部屋から郁の配り歩いた蚊取線香のにおいがかすかに流れてきていて、お、どこの部署でも活用してくれてるのね、と郁はちょっとうれしくなった。 「線香のにおいっていいですよね。あたし好きなんです」 先を行った三人に追いついたところで言った郁に、手塚が「そうか?」と眉を寄せた。 「俺は墓参りを思い出すけどな。お盆とか、お彼岸とか」 「そりゃ、線香といえばお墓につきものだけど」 なんか風情に欠けない? と郁が口を尖らせたのに堂上と小牧が苦笑したそのとき。 ……あれ? 不意に立ち止まった郁に堂上が「どうした?」と声をかけた。 「いや、あの……ちょっと待って……」 郁は自分の五感……いや、嗅覚に引っ掛かった何かをもう一度捕まえようと目を閉じ、鼻をひくつかせた。 相変わらず熱く重い空気の中に混じる蚊取線香のにおい。その中にそれとは違う、あってはいけないにおいがかすかに混じっていたような──まさか、これは! 「どこだっ!」 郁は一声叫んで、次の瞬間にはまっすぐそのにおいの方向へ走り出した。 いきなり走り出した郁に残された男三人が目を丸くするが、郁の様子が真剣だったことは確かに伝わったので、何も言わずにその後を追いかける。しかし先に飛び出していったのが誰より俊足の郁だった上、廊下の曲がり角を駆け抜けて行ってしまったのですぐにその背中は視界から消えてしまった。それでも足音を頼りに追いかけて階段を降り切ったとき、三人の鼻にもようやく郁を走らせたそのにおいが届いた。 これは──何かが焦げるにおいだ! 「手塚! 消火器!」 「はい!」 無駄な言葉を一切省いた堂上の指示に手塚も迷うことなく消火器の設置場所へと走っていった。間もなくそれを持って現れるだろう手塚を待たずに、堂上と小牧はその焦げたにおいを追って再び走り出した。それと同時に、館内に火災報知機のベルが大音響で鳴り響いた。 たどり着いたのはフロアの一番奥、主に調達担当が倉庫代わりに使っている部屋だった。普段は閉め切られているそのドアが開け放たれており、においはそこから漏れ出していた……天井に沿って広がる、うっすらとした白い煙も。 「笠原!」 ハンカチを口に当ててその倉庫に飛び込もうとした堂上に正面からぶつかってきたのは、そこから飛び出してきた人影だったが、それは郁ではなかった。郁よりも少し背の高い若い男……後方支援部の制服だ。自分よりも背の高い男にぶつかられたからといってそう簡単に倒れるような堂上ではない。咄嗟に片足を一歩後ろに下げてその男を受け止めると、今度は煙とは違う、もっと別のにおいが堂上の鼻をついた。これは…… 「すっすいません! 俺そんなつもりなくて、でも、あの」 怯えたような顔でしどろもどろに喋る男に堂上は一喝した。 「火の始末もできないくせにいっちょ前に煙草なんか吸うなアホウ!」 煙草のヤニ臭いにおいを身にまとわりつかせ自分に倒れ込んだままの男を後から来た小牧の方へ放り出すと、堂上は今度こそ倉庫へと飛び込んだ。中は古い書類を収めたのであろう棚が何本か並んでいて、白い煙はその奥の方から天井を伝って開け放たれたドアと、それから小さく開けられた窓の外へと流れて行く。その煙の量から察するにまだ大きな火にはなっていないようだったが、この紙束の中ではいつどれだけ火が広がるかわからない。 「笠原! 無事か!」 「堂上教官!」 呼びかけに応えるように、棚の奥から煙のせいで目から涙を流した郁が姿勢を低くして飛び出してきた。 「まだ今なら消火器で間に合います! 早く取りに!」 「今手塚が持ってくる! とりあえず出るぞ!」 郁の手首を掴んで、堂上は倉庫の外へと引っ張った。そして二人が廊下へ出たのと同時に手塚が消火器を二本抱えて到着し、一本を小牧に渡すと二人で倉庫の中へ飛び込んでいき、やがて消火剤を噴射する音が廊下にまで聞こえてきた。 その頃には庁舎内のあちこちから人々が集まってきていて、非常ベルが誤動作ではなかったことを知ってひどくざわめいていた。そんな事務方の職員たちを特殊部隊の一部が建物の外へ誘導し始め、また別の隊員数人が追加の消火器と濡れタオルを何本か持って倉庫の方へ走ってきた。 「大丈夫か!」 「今、小牧と手塚が中で消火中です。そろそろ消火剤も切れる頃なので交代願います!」 「了解!」 走ってきた隊員二人が顔に濡れタオルを巻き消火器を抱えて倉庫へ入って行った。それを見送って堂上は、今度は小牧が堂上に預けて行った若い後方支援部職員の腕を掴んだ。腰が抜けたのか尻もちをついたままだった男の体を片手でを強引に引っ張り上げると、別の隊員に引き渡す。 「こいつの隠れ煙草が原因の出火のようです。詳しくは追って調べを」 そう言った堂上に、腕を掴まれたままの男がにわかに生気を取り戻したように喚きだした。 「煙草のせいじゃねえよ! 確かに吸ってたけどさ、火ぃついちゃったのは煙草じゃない、そいつが持ってきた線香のせいだ! そいつがあんなもん持ってくるから!」 堂上が掴んでいない方の手で、男は、少し煙を吸ったのか身を屈めて咳き込んでいた郁を指差した。そして指差された方の郁がその咳さえ呑みこんで、ぎょっとしたように目を丸くした。その目は煙のせいで赤い。 「あの、堂上教官、あたし」 「今は消火と退避が優先だ。詳しい話は後で聞く」 郁と男の両方に向かってそう宣言して、堂上は男の腕を離し、今度はその手で再び咳き込み始めた郁の背中を軽くさすってやる。その咳がおさまってきたのを確認してから、退避しろと促すようにその背中をエントランスの方へ押し出し、そこで堂上はもう一度口を開いた。 「一つだけ確認だ。お前が倉庫に入った時にはもう火が出ていたんだな?」 問われた郁は、赤い目に涙をにじませながら、しかししっかりとした声で答えた。 「はい。そもそもあたしが気付いたのは、倉庫の窓から漏れ始めていた煙のにおいですから」 事務室を出た廊下の窓も今日は朝からずっと開け放たれていた。郁はその窓から入ってくる空気に煙の焦げくささを感じ取って、その元を探して走り出したのだろう。 それだけで十分だった。 「わかった。あとの消火はまかせて退避する。一人で歩けるな?」 「はい」 その答えもしっかりとした声であることを確認して、堂上は職員退避の誘導の手伝いへと走った。 一人で歩けるなら安心だ。しかし──目の前でいきなり一人で走り出されるこっちの身にもなってくれ。 |
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