発火ダッシュ 6

・・・・・from「日本の夏が来た。」

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「お、やっと直ったか!」
 天井から噴き出した冷気に玄田がうれしそうな声を上げた。ボヤ騒ぎは本当に局地的な被害で済んだのか、さいわいなことに空調設備には影響を与えなかったらしい。ボヤ騒ぎの退避が解除される頃にちょうど到着したという修理業者が手早く対応したのだろう。
「これで蚊取線香ともおさらばか。なかなか風流だったんだがなあ」
 そう言う玄田の声は結構本気で残念がっているように聞こえたが、郁は思わずそれに「でもこれで、蚊取線香が原因のボヤなんて間抜けな事態は起きなくなりますよ」と答えてしまった。
 ……やだな、あたし。何卑屈なこと言ってるの。
 そんな郁の思いに気付いたのかどうか、玄田は「間抜けとはまったく言い得て妙だな」と言ってガハハと笑った。その笑い声を背に堂上の後について隊長室を出たところで、すぐ前に立った堂上が体を半分程振り返り、郁を軽く見上げた。
「確かに蚊取線香がなかったら起きなかったボヤかもしれんが、しかし子供ならいざ知らず、大人相手に火のついた蚊取線香を紙の上に置くなんてことをしでかすとは想定できなくて当然だ。たとえ蚊取線香ってものが今時そう一般的なものでないとしてもな。そもそもあんな場所で隠れ煙草なんてガキみたいなことしてるのが論外なんだ」
 いきなり言われたその言葉に郁は思わず目を瞠った。その間も堂上の言葉は続く。
「お前は蚊取線香を蚊取として使え、と言って配っただけだ。だから火種が蚊取線香だったことについてお前が責任を感じる必要なんか全くない」
 ──わかってるな?
 郁の迷いを見透かしたようなその言葉。
 あたしだっておかしい、信じられないと思うけど。でも、あたしのせいだって可能性はゼロじゃないから。
 そう思って揺らいでいた思いをひっぱたかれたような気がした。
 可能性は確かにゼロじゃない。しかし、すべての可能性の責任を郁が取る必要もないのだ。想定外の事態とは、文字通り想定できないところで起きるものなのだから。
 そんな当たり前のこと、自分でもわかっていたはずなのに。でも、誰かに「そうだよ」と言ってほしかった。そんな自分が情けないけれども、でも、そう言ってくれた人がいた……それが堂上だったことに、郁はひどく救われたような気になった。
 あなたがそう言ってくれるのなら、あたしも自分を信じて、許していいって思える気がします。
「……ありがとうございます」
「別に、当たり前のことを言ってるだけだ」
 礼を言った郁に、堂上はぷいと顔をそらしてさっさと自分の席に戻ってしまった。その背中にぺこりと頭を下げて、郁もまた自分の席へ戻り、報告書の作成に取り掛かろうとしたそのとき。
「笠原、お前が第一発見者だって?」
 退避時に職員の誘導を担当していた隊員が声をかけてきたので、郁は手にしたペンを置いてそちらを振り返った。
「ええ、まあ。窓の外から焦げ臭いにおいがしたんで、これはヤバイんじゃないかと思って」
 玄田たちにしたのと同じ説明を繰り返した郁の目の前で、周りにいた隊員たちがどっと笑い出した。
「え、な、なに!? あたし別に笑われるようなこと言ってないですよね!?」
 いきなり周り中に爆笑されて、郁はガタッと椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。何なのよ一体!
 そんな郁にさらに笑いが止まらない、といった風に、いっそ目に涙をためて別の隊員が言った。
「だってお前、火災報知機が鳴るより先に気付くって、どんだけ鼻が利くんだよ。やっぱ犬か?」
 その突っ込みに郁は素で目を丸くした。背後で小牧のぶっと噴き出す声が聞こえる。
「犬ってなんだ犬ってー!」
 大声で反論した郁に、隊員たちは相変わらず大笑いしながら畳みかける。
「犬だろうよ、足は早ぇし、鼻は利くし。ああ、いつぞやは目の周り黒くしてたしなあ」
「それ関係ないから! ていうか名誉の負傷捕まえて犬とか言うな!」
「ほら、そうやってキャンキャン吠える辺りがなー、まだ子犬ちゃんだな笠原?」
「子犬ちゃん言うなー!」
 いくらあんたらがガタイのいい男だからって、こんだけかさの高い戦闘職種の女つかまえてどこが子犬ちゃんよ! ……と、すぐに感情を発火させてしまう辺りを指してそう言われているのだとわかっていても止められない。あーもーそうよ、だから子犬ちゃん呼ばわりなんだけど、でもでも! なんて郁がキリキリし始めたそのとき。
「すいませんが、うちの犬にちょっかい出さないで頂けますか。こいつはまだ業務中なんで」
 背後の、小牧の上戸の向こうから聞こえてきた低い声に、その場の空気が一瞬固まり、郁はものすごい勢いで背後を振り返った。
 っていうか、なんで堂上教官まで犬呼ばわり!? それにあたしゃあんたの犬になった覚えはないわよ!
 そう文句をつけようとして、郁は思わず息を呑んだ。
 ……ちょっと、なに、その顔。なんでそんな顔であたしが睨まれなきゃ……
 あ、違う。
 睨んでるのはあたしじゃない。あたしの後ろにいる先輩たちだ。
 って、なんで?
 ──と思った瞬間、その見慣れたようで見たことのない気のする睨み顔が紛うことなく郁の方へ真っ直ぐに向けられた。つい一秒前までその視線が郁の背後に向けられていたのが幻だったように。そして次の瞬間には、
「笠原! ただでさえ書類仕事の遅いお前が無駄話してる暇なんかないだろう! さっさと書け!」
 と雷が落ちて、郁は「はいっすみません!」と反射で敬礼してあらためて机に向き直ったが、今度はその背後で一度は収まったはずの先輩たちの爆笑が再び炸裂した。
「あー、やっぱ犬だな、犬!」
「飼い主の命令には逆らえないもんな!」
 などとまたもや勝手なコメントが投げつけられて、郁はまた後ろを振り返りそうになるが、「いかんいかん、これ以上犬扱いされてたまるか! それに、堂上教官にこれ以上迷惑かけたくないし!」と腹の中で必死に自分に言い聞かせてそれをこらえた。そんな郁の反応のなさがつまらなかったのか、先輩たちの笑いもやがておさまり、めいめいの席へと戻って行った。その気配を背中で感じながら、郁は「あーよかった!」と胸を撫で下ろし、今度こそ! とばかりに目の前の報告書のフォーマットに集中し始めた。
 そんな郁だから、隊員たちが各自の席へ戻る寸前に小声で
「どっちが犬かわからんよな」
「番犬も頑張ってるからなあ」
 と密かにくすくす笑いを交わしたことなど知る由もなかった。


fin.


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